2013年2月19日火曜日

日漢k-m音のカミあわせ



「漢字物語」(181)




「漢字物語」を読む
北日本新聞に連載されている、小山哲郎さんの「白川静文字学入門・漢字物語」を愛読しています。奥が深く、むつかしいものと思われる漢字の字形について、わかりやすいコトバで解説しておられるので、いつも敬服しています。

たとえば、先日このブログ(115日号)でとりあげたk-m音の漢字[今・衿・衾]について、 漢字物語181(2011.125)の中で明快に解説されています。要約しますと;

キン[](イマ)は、もともとフタの形。ツボやビンの口をおおうセン[]ののあるフタ。やがて、「フタをされた時間」、つまりイマ[]の意に。

キン[](フスマ)は、コロモ[]にフタをして、おおい隠す姿。夜寝る時に使うフトンやカイマキのこと。[][]を上下に合わせた字形。

キン[](エリ)は、[][]を左右に合わせた字形。衣のエリもとを結んでフタをする姿。キン[]とも書く。[]にも「閉じる」意味があり、[]と同語の異体字。

ガン[]は、口にモノを含ませてフタをする姿。

 

字形・音形と意味の関係
漢字はもともと象形文字が基本なので、漢字の研究といえば、どんな字形かに関心が集まり、どんな音形かはあまり問題にされない傾向があります。それで、漢字の構成部分について、「この字形は発音を示すだけで、意味には関係がない」などという議論がでてきたりします。ここまでくると、「コトバ・音声・音形・文字・字形・意味」などの用語について、あらかじめきっちり定義してからでないと、議論がカミあわないおそれがあります。

さいわい「漢字物語181」の場合は、用例キン[今・衾・衿・襟]やガン[]について日本漢字音を明記し、字形キン[]が土台になって[衾・衿・含]などの字形が生まれたことを解説しています。しかし、キンという音形がどうして「かぶせたものにフタをする」意味になるのか、そこまでの解説はしていません。

毎日漢語を使っている人たちが漢字を習得したり研究したりする場合は、「漢字物語」のような解説で十分だろうと思います。しかし、漢語の音韻感覚が身についていない日本人の場合は、キンkinやコンkonという語音から「かぶせたものにフタをする」姿を連想することはまずムリでしょう。

ただし、これを「フタをして、閉じコメル」姿だと解説されれば、たいていの日本人が「ナルホド、そのとおり」とナットクできるかもしれません。

 

キム[]・コム[込・篭]姿
ここであらためて、キン[今・衾・衿・禁・襟]の漢字音をたしかめておきましょう。漢和辞典を見ると、「漢音キン(キム)、呉音コン(コム)」と解説されています。つまり、もともとはキム・コムのようなk-mだったものが、やがてキン・コンのようなk-n音に変化したというわけです。

そこで考えてみると、日本語でもカム[]・キム[]・クム[組・汲]・コム[込・混・篭]などのk-m音語があり、共通の基本義をもっていることに気がつきます。たとえばカム[]姿は、上下の歯をクミ[]あわせる姿であり、口の中のモノをキメ[]つける姿であり、また閉じコメル[]姿でもあります。

漢語音コム[]が「ビンの口にフタをして閉じコメル」姿ということになりますと、漢語

コム(キム)[衾・衿・禁・襟]ゴム(カム)[]カム[]などについても、すべて「カミコム・クミコム・トジコム」姿としてとらえることができます。つまり、k-mにかんするかぎり、日本語(ヤマトコトバ)と漢語の音韻感覚が一致するということになりそうです。

個別の単語コム[]とコム[]がたまたま偶然一致したということではありません。それぞれが背景に単語家族をかかえたまま、組織ぐるみでの対応関係が見られる点に注目すべきでしょう。

 

氷山の一角
こんなふうに書いてきますと、イズミが「偶然の一致を法則的な一致に仕立てあげ」、「誤解と偏見にもとづく独断論」をくりひろげているように感じられる方もおられるかと思います。どうか、マユにツバをつけてお読みください。マチガイを発見された方は、お手数ですがお知らせくださればありがたいです。

実をいいますと、わたしが書いてきたコトガラの中に、じぶんであらたに発見したり、発明したりしたものは、ほとんどゼロです。あらかた全部、先輩たちがいつか・どこかで発表ずみのものばかりです。とりわけ、ヤマトコトバと古代漢語の音韻組織に対応関係が見られる点については、おおくの研究者が指摘しています。わたしがとりあげて発表したものは、「氷山の一角」にすぎません。

ただし、「氷山」はしょせん「氷山」。「大陸」ではありません。日本語と漢語・英語などとの音韻対応関係を議論するには、まだまだ資料不足で、肯定論は少数派。否定論が圧倒的多数派を占めています。

 

常識が変わるとき
漢字の本家は中国。その中国で漢字の実態がおおきく変化しています。小学校では、漢字をおぼえるまえにまずローマ字つづりでヨミカキできるように練習します。新出漢字にはローマ字でルビをつけ、共通語の発音を習得できるシクミになっています。公文書・新聞・雑誌をはじめ、国語教科書もすべてヨコガキ。漢字の字形そのものが簡体字(略字)に変化していることは、みなさまご承知のとおりです。

おとなりの韓国北朝鮮では、漢字をやめてハングル(表音文字)をつかっています。いままともに漢字をつかっているのは、日本と中国(台湾をふくめて)だけになっています。

生活の実態が変化すれば、人々の常識も変化します。この数十年のあいだに、中国本土や朝鮮半島では、漢字・ローマ字・ハングルにかんする常識がはげしく変化しました。進歩したのでしょうか?それとも、退歩したのでしょうか?

そしてまた、日本語の表記法は現状のままで21世紀の競争社会に生きのこれるでしょうか?「国語教科書や新聞・雑誌はタテガキ」という「日本の常識」は「世界の非常識」であり、待ったなしの変身をせまられているのではないでしょうか?

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