2012年8月9日木曜日

t-r音の漢語

t-r音漢字の甲骨文、[]


 t-r音漢字の甲骨文、[]


t-r音漢字の甲骨文、[]
 


t-r音漢語の基本義をさぐる


t-r音漢字の甲骨文
上古音がt-r音をもっていたと推定されている漢字の字形をしらべて、その字形と音形と意味(事物の姿)との対応関係を考えてみましょう。
上にかかげたのは、t-r音の漢字シ此スイ隹、テイ弟3字の甲骨文です。いずれも「古文字類編」(高明編、中華書局)からの借用です。また、このあとこれらの漢字の字形・発音・意味などについて、基本的に「学研、漢和大辞典」の解説を要約して紹介します。発音については、[日本漢字音・上古音・漢字・現代音]の順で表記します。
ts’ierci…「止(あし)+比(ならぶ)の略体」の会意文字で、足を並べてもちぐはぐになることです。シ眥(マナジリ)・茨(イバラ)と同系のことばですが、普通はその音を借用して、シ斯・是・之などとともに、近いものを指す指示詞に当てられます。
スイtiuerzhui…尾の短いとりを描いた象形文字で、「ずんぐりと太い」姿を表わします。雀(すずめ)・隼(はやぶさ)・雞(にわとり)などの字に含まれ、[]とともに、広くトリを意味しています。ここで、上古漢語音tiuerがヤマトコトバのトリ[鳥・取・捕]t-r音を共有していることに注目したいと思います。日本漢字音ではスイとなっていますが、もともとはt-r音のコトバだったというコトです。トリ[]がどうしてトリtoriと呼ばれるのかは別問題として、人も鳥も、ツル[釣・吊]・トル[取・捕]ことで食事をトリ、また大小便をタレ[]ながします。災害の年には、エサがトレず、アシドリがあぶなくなり、命をチラスこともあります。十分栄養をトリ、「ずんぐりと太い」(腹がデル)姿は、めでたい話です。
ダイ・テイder diY(棒ぐい)にひもを垂らし、棒の低い所をノ印でさし示した指事文字で、低い位置を表わします。兄弟でいえば、背たけの低いほうが弟ということになります。テイterdiと同系のことばで、「タル[]・デル[]」姿を表わしています。
sさ、これらt-r音3語(字)の字形から、t-r音が表わす意味(事物の姿)が、すこしだけ見えてきたような気がします。それは「タル[垂・足]・デル[]・ツキデル[突出]」などの姿です。具体的な例でいえば、5本の指がツキデル姿。抽象的・公式的にいえば、t-r音を発声するときの「発声器官の姿」(舌の動きなど)ということになるでしょう。
こんな説明では、すぐにナットクしていただけないかもしれませんが、このあともt-r音の基本義について考えてみることにします。

t-r音漢語の擬声・擬態語
t-r音漢語の擬声・擬態語の実態はどうなっているでしょうか?
漢語の音節は、もともとCVC型、つまり語頭子音と語尾子音の中間に母音をはめこんだモナカ型です。また、t-r 型音節は成立していますが、t-l型の音節は成立しません。さらにいえば、子音r は語頭に立つことがありません。語尾につくときは-r音となり、語頭に立つときはl-音となると考えてよいでしょう。
すこし話がそれますが、子音r が語頭に立たないという点ではヤマトコトバとよくにています。ただし、ヤマトコトバでは子音l-そのものが成立しないのにくらべ、漢語ではリ[李・理・利]、リキ[]、リツ[]、レツ[裂・列・烈・劣]など、たくさんのl-音語が生まれています。
そういった事情も関係しているかどうか分かりませんが、t-r型音節による擬声語の例は見あたりません。これまで採集できたのは、いずれもt-l-型複音節の擬声語ばかりです。
chala[口+察][口+拉] チャラチャラ(硬貨の音)。*察chaの上古音はts’at
chiliu[口+赤] ツルッと滑る音。*赤chiの上古音はt’iak
ciliu[口+此] ソバをすする音。*此ciの上古音はts’ier
dingling叮鈴(鈴の音)チャリン。
なお今回は、t-r音擬態語についてご報告できるほど採集できていません。わずかに採集できた1語が、吊儿郎当diao’erlangdang (だらしがない。チャランポラン)でした。まことに申しわけありません。

t-r音漢語の基本義
上古音t-rをもっていたと推定される漢字をとりあげ、その字形・音形から、t-r音漢語の基本義を考えてみます。
ts’ierci 前述のとおり。
dzierzi マナジリ。「目+音符此」の会意兼形声文字。メジリの線がチグハグに交差する姿。サイ柴(不ぞろいのまま束ねたしば)、シ疵(ギザギザのきず)、シ雌(尾の羽が交差している鳥のめす)と同系。*上下の線がチグハグにデル姿。
tsierzi 「糸+音符此」の会意兼形声文字。赤と青を混ぜて、チグハグの中間色となること。シ眥、サイ柴、シ雌と同系。
シ・ジts’ierci 「二(並べる)+欠(人が体をかがめたさま)」の会意文字。軍隊の小休止の意。やがて、物を順序づけて並べる意。次第順序を表わす。*このt-r音は、ヤマトコトバのツル[]・ツラ[]・ツラヌ[]・ツルブ[]などのt-r音にツラナル可能性があります。
シ・ジdzierci 「艸+音符次」の会意兼形声文字。不ぞろいに枝やとげの並んだ木。いばら。*ツルッとツキデル、ツラナルさま。
tsier姿zi 「女+音符次」の会意兼形声文字。女がそそくさと身づくろいをして、顔や身なりを整える意。*タル・ツル・デル・トルなど、トリドリの姿勢をトルさま。
tsierzi  「貝(財宝)+音符次」の会意兼形声文字で、金銭や物品をざっとそろえて、用立てること。*ズラリ、トリそろえるさま。
スイdhiuarchui 「穂の垂れた形+土」の会意文字。スイ錘・ダ堕・朶などと同系。*タレル・デル姿。
スイdhiuarchui 「阜(おか)+音符垂」の会意兼形声文字。地の果て。ほとり。*地の果ては、低く、タレ[]さがっているように見える。
スイdhiuarshui 「目+音符垂」の会意兼形声文字。まぶたをタレ[]、ねむること。
スイdiuarchui 「金+音符垂」の会意兼形声文字。はかりのおもり。*上から下へタレル[]
スイtiuerzhui 前述のとおり。
スイt’iuertui 「手+音符推」の会意兼形声文字。ずっしり重みや力をかけて押すこと。
スイ・ツイdiuerchui 「木+音符推(ずんぐりした鳥)」の会意兼形声文字。①ずっしり重い木のツチ[]。②シイ[]。*シイ[]の実(ドングリ)はツチ[]の姿。
スイdhiuershui 「言+音符隹」の形声文字。疑問の指示詞。*日本語のドレ・ダレに近い。
スイdiuersui「辵(すすむ)+音符豕(重い豚」の形声文字。道筋をたどって奥へ進むこと。ツイ追・スイ隧(トンネル)などと同系。
スイ・ツイdiuerzhui 「土+音符隊」の会意兼形声文字。おちる。おとす。ツイ鎚・タイ碓と同系。*重いものがツルッ・ズシンとタレル・オチル姿。
ダイ・テイderdi 前述のとおり。
ダイ・テイderdi 「竹+音符弟の略体」の会意兼形声文字。竹の節が順序よく一段一段と並ぶさま。*デル・タル・ツラナル姿。
テイterti 「木+音符弟」の会意兼形声文字。段がついたハシゴ。*デル・タル・ツラナル姿。
タイtuerdui 「石+音符隹」の会意兼形声文字。石うす。*重く、タレル[垂]姿。
タイtuerdui 「土+音符隹」の会意兼形声文字。△形につんだ土。*重く、タレル[垂]姿。
ツイtiuerzhui  「辵(すすむ)+音符[阜の上部](積み重ね)の形声文字。あとに従って進むこと。*視点を変えれば、タル[]・ツル[]・デル[]姿。
ツイdiuerzhui 高いところになわをかけ、これに物をぶらさげておろす。また、人がぶらさがっておりる。*タレ[]さげる、ツリ[]おろす姿。
ツイdiuerchui 「木+音符追」の形声文字。木ツチ[]。*タル[]・ツル[]姿。
ツイdiuerchui「金+音符追」の形声文字。金ツチ[]。*タル[]・ツル[]姿。現代漢語では、錘と槌を同語と見なし、錘1字で代表させています。
テイterdi 「人+音符テイ氐」の会意兼形声文字で、背の低い人を示す。転じて、低いこと。*タレル[垂]姿。