2012年9月30日日曜日

コノハナサクヤ姫

s-k音の基本義を考える


①幻想;コノハナサクヤ姫(梅本公美子作)
 
 
 ②岩をサク矢(梅本公美子作)



画像について
今回も梅本公美子さんの作品を借用させていただきました。「おかべ」851978.3.)所載、旧稿「岩をサク矢」にそえられたカットからの借用です。画像①は、全体としてサクラの木の姿ですが、見方によってはメ・ハナスジ・クロカミなどからコノハナサクヤ姫の顔に見立てることもできそうです。画像②は、「岩をサク矢」(岩をもサキ[裂・割]キル利器)としてのヤジリ・ヤリ・ホコ・マサカリということです。①②とも、タイトルはイズミが勝手につけたものです。

 

コノハナサクヤ姫
前々回から「古事記」や「万葉集」に登場する人物や身体部分のナマエをとりあげ、p-k音語の共通基本義をさぐってきました。今回は、まず「古事記、天孫降臨」のくだりにでてくるコノハナサクヤ姫のヨビナからはじめて、s-k音語の意味をさぐりたいと思います。

アマテラススサノヲのあいだに生まれた神の名がアメノオシホミミ。その子が、いわゆる天孫ニニギの命です。このニニギの命が、オオヤマツミの命の娘コノハナサクヤ[木花佐久夜]に一目ぼれして結婚を申しこみます。娘から相談を受けたオオヤマツミの命は、姉のイワナガ[石長]姫もいっしょにお仕えするようにとおくりだします。ところがニニギの命は、「あまりミニクイから」とイワナガ姫をおくりかえし、コノハナサクヤ姫だけをのこし、結婚することになります。ハズカシイ思いをしたオオヤマツミの命がいいました。「イワナガ姫がお仕えしていれば、どんな災難があっても、御子のお命はイワのように安全無事ですむでしょうが、コノハナサクヤ姫だけでは、コノハナ[木花]サク[]あいだだけのサカエ[栄]で終わる(長生きできない)ことでしょう」

 

岩をサク矢
「古事記」神代の巻に、イハサク[石拆]・ネサク[根拆]の神々が登場します。いいかえれば、「岩石や樹木の根をサク(タタキ割る)」作業を担当する技術者たちがいたということです。

サクの漢字は、現代文なら[]または[]と書くのが普通かと思いますが、ここでは[(たたき割る。ひらく。さく)が当てられています。ナゼでしょうか。

]の上古漢語音はt’ak、現代音はchai, cheで、日本漢字音はチャク・タクです。なお、日本漢字音セキ[](しりぞける。ひらく。さける。うかがう)の上古漢語音は」t'iak、現代音はchiです。

サクというヤマトコトバ自体が、もとtsakuのような音形からsakuに変化したと推定されています。またサクにかぎらず、もとt-kts-k音のコトバが次第にsak-音に変化したことが分かっています。

「古事記」の筆者は、サクというヤマトコトバに当てる漢字として、レツ[]やカツ[]よりも音形が近いタク[]のほうが適当だと判断したものと思われます。

t-kからs-kへの音韻変化は、ツエ[杖]で地面をツク・ホル生活からスキ[鋤]で田をスク生活に変化したことと連動していると考えられます。

 

カタシワ[堅石]も酔人をサク[避]
「古事記」応神のくだり。クダラ[百済]の国から来たススコリたちがお酒を造って献上します。おいしい酒を飲んだ天皇が、ウキウキ気分でその辺を歩きまわります。道の途中で大石を見つけ、手にしたツエを打ちこみます。すると、その石が走って逃げてゆきました。それで、「カタシハ[堅石]もヱヒビト[酔人]をサク[避]」というコトワザができました、というお話です。

この説話のおもしろいところは、「ヨッパライのツエを恐れて、岩が裂けて逃げた」というオチの部分です。デタラメのように見えますが、ヤマトコトバと漢語の音韻組織をかなり精密に計算したオトシバナシだと思います。

伏線としてまず、「クダラのススコリたちが造ったサケ[]がでてきます。つまり、このころ本格的な酒醸造技術が伝来したということです。サケ[]づくりは、コメ・ムギ・アワなどを酵素のはたらきでサク[裂・割]作業、つまり細胞分裂をおこさせる化学工業というわけです。

いちばんのナゾは、応神がツエを打ちこんだら岩が逃げ去ったという点です。このツエがただのツエでなくて、岩石や金属をタチキルことができる鋼鉄製のツエ、タガネだったと考えれば、話のツジツマがあってきます。つまり、サケ[]づくりの技術とともに鉄器、とりわけハガネづくりの技術が伝来したということになります。

 

サケル[]姿は、やがてサケル[]姿
「その石が走って逃げた」の部分、「古事記」原文では[其石走避]と漢文表記になっています。漢語ソウ[]は、ハシル、ニゲルこと。[]は、サケルことですが、見方によってはニゲル姿とも見えます。ヤマトコトバのサクは漢字で[裂・割・咲・避・離・放]などと書き分けることができますが、それは漢語に翻訳すればそうなるというだけで、ヤマトコトバ自体としてはもともとただ1語しかありません。基本義は、[箭・矢][]。つまり、矢やヤジリでサク(サキワケル・サキヒラク・サキハナス)姿です。

サク姿は、立場を変えれば、そのままサカレル[]姿です。むざむざサカレルよりはと、そのまえにみずからサク[離・避]・サケル[]こともあります。

 

s-k音のサカエとサキワカレ
ヤマトコトバのs-k2音節動詞は、サクだけでなく、サグ[]シク[敷・布・如]スク[鋤・好・透・梳・漉・空]スグ[]セク[堰・急・咳]ソク[退]ソグ[削・殺]など、たくさんそろっています。2音節名詞サカ[坂・酒・逆]サキ[先・割・裂・崎]サケ[]シカ[鹿]シキ[]シケ[時化]シコ[]なども、それぞれ動詞サクやシクのサキワカレであり、同族語と考えられます。s-k音語はまさに「枝もサカエル[]、葉もシゲル[繁・茂]」状態だといえます。 

ただし、「おごる平家は久しからず」。ヨイにワルイはつきもの。サキサキへとサキワカレ、一族のみんながサカエルのはめでたいことですが、おおきな権力や財力をもつようになればなるほど、一族のあいだにサケメが生まれ、まわりとの交流をセキ止めたり、一族のサカエをソギ落としたりする動きもでてきます。いまどきの政治の世界でいえば、大政党の中の派閥みたいなものでしょうか。

 

サク[]sects-k音語
漢語や英語にも、s-k音語はたくさんあります。
漢語サク[]は、チイサク、ケヅル姿。その結果できた作品がショウ[](肖像)。この字形[]の上半分がもともとショウ[]で、「チイサク、ケヅル姿」(素材の木片とサキ分かれた破片)です。またサク[]は、「1本づつサキわける姿」(索引・検索など)です。

英語でも、skin(皮膚), section(分割), segment(区切り), insect(昆虫)などは、語根sek-(to cutカチワル。サク)からの派生語とされています。また、sect(党派), second(2の。助ける), society(社会)などは、語根sekw-1(to followツキアウ)からの派生語とされています。skin(皮膚)は「サケル[]もの」であり、insect(昆虫)はアタマ・ハラ・アシなどのセクトサキ分かれる姿の生物です。また、人々はスキなもの同士でタスケあい(second)、ツキあい、よりあって、シャカイ[社会]( society)をつくりあげたわけです。

2012年9月18日火曜日

尾ある人、ヰヒカ

ヰヒカ(梅本公美子作)
 
 

画像についておわび
前号「ヒゲの剃り杭」で、画像「法師のヒゲ」の作者梅本公美子さんの名が脱落してしまいました。おわびして訂正いたします。(株)岡部組社報「おかべ」82号所載の旧稿「ヒコ大王のほこり」のカットとして作成されたものを、あらためて借用させていただきました。梅本さんは当時、「おかべ」の編集スタッフでした。

なお、今号の画像は「おかべ」81号所載の旧稿「わが名はヰヒカ」のカットからの借用です。

 

国つ神、ヰヒカ
「古事記」神武東征のくだりで、シッポが生えた人物が登場します。「ヰヒカ」と「イハオシワクの子」というふたりの国つ神です。

はじめナニワ湾に上陸作戦をこころみて失敗した神武の一行が、こんどははるか南方にまわってクマノ村(白浜ちかく)に上陸。ここでタカクラジからひとふりのタチ[横刀]をおくられます。そのあとヤタガラスの案内をうけて、ヨシノ川の上流へ。ここで、ヤナをしかけて魚をとる人物「ニヘモツの子」(アダの鵜養の祖先)に会います。そこからしばらくゆくと、井戸の底にピカッヒカルものがあります。と思ったら、なんと、シッポの生えた人間が出てきました。「だれか」とたずねると、「国つ神、名はヰヒカ[井氷鹿]」と名のりました。このあと、ひきつづき「尾ある人」、「国つ神、名はイハオシワク[石押分]の子」に出会います。

 

山仕事用シリアテ
「尾ある人」とは、いったいナニモノでしょうか。岩波文庫「古事記」(倉野憲司校注)の脚注を見ても、「尾のあるような恰好に見えたのであろう」としているだけで、ヰヒカの職業など生活実態はナゾのままです。また「イハオシワク[石押分]の子」についても、「穴居民をいうのであろう」としています。

「シッポが生えた人間」など、実在するわけがありません。でも、「シッポが生えたように見える人」は実在します。それは、山シゴトをするために毛皮のシリアテを身につけた男たちです。山シゴトは、山で植林したり、トリやケモノをとったりするだけではありません。水源を確保して水をヒク、あるいは水銀・金・銀・銅・鉄などの鉱物をヒキだすのも、すべて山男たちのシゴトです。

 

ヰヒカは、ヰドをヒク人
ヰヒカは[井氷鹿]とも、[井光]とも書きます。ヤマトコトバの原則どおりに解釈すれば、ヰ=井戸。ヒカは、動詞ヒク[弾・引]の未然形兼名詞形で、「ヒクもの」の意味。英語でいえば、pickするものをpickerと呼ぶのとおなじ発想のコトバでしょう。
したがって、ヰヒカは「ヰドをヒクもの」、つまり井戸を掘って水などの鉱物資源をヒキだす職人ということになります。

ヰヒカをそのまま英語に置きかえればwell-pickerとなりますが、そういう単語が成立しているというわけではありません。ただp-kタイプの英語ではpick(つついて取る)peak(とがる)peek(のぞき見る)peck(つつく)picket(とがりぐい)pike(やり)poke(つつく)など、日本語ヒク[弾・引]と共通のイメージが見られることは事実です。民族や国境のワクをこえた、人類語として共通の音韻感覚がはたらいた結果ではないかと思われます。

 

ピッケルとシリアテ、山男スタイル
井戸をヒクヒラクには、ツルハシ・ピッケルなどの道具をつかいます。素材として鹿の角などもつかわれたようです。ヒカを[氷鹿]と表記したのも、ヒ[氷](ツララ)やシカ[鹿](シ[石]カ[髪・毛]=角)の姿をもつ道具だからです。また、毎日ヒク作業をくりかえすので、ツルハシやピッケルのハサキはピカピカしています。かたい岩場をヒク[]pickときには、火花が飛んで、ピカッヒカリます。

そんなわけで、ピッカピカのピッケルを手にとり、毛皮のシリアテを腰につけた山男スタイルが完成したと考えます。

 

言語感覚の問題      
わたしは日本語の専門家ではないので、えらそうなことをいう資格はありません。それでもやっぱり日本語のコトバヅカイについて、あるいは解釈について、さらには言語感覚の問題について、ヒトコト・フタコト、いいたいと思うことがあります。

たとえば、こんどとりあげた「尾ある人」、「名はヰヒカ[井氷鹿]」、「イハオシワク[石押分]の子」などのコトバをどう解釈するかという問題です。

「尾ある人」という表現について、「文学作品だから、そのまま受けとればよい」という人もいるでしょう。しかし、小中学校で「古事記」について学習する場面で、「シッポが生えたように見える人」と解説するだけですませてよいものでしょうか。

このていどの解釈では、「現実には存在しないことを書いたデタラメ記事」、「現實の生活向上に役立ちそうにないムダ話」ということになりませんか。

論より証拠。いまのオトナたち自身、「尾ある人」、「名はヰヒカ[井氷鹿]」、「イハオシワク[石押分]の子」などについて、「実態までは、よく分からない」状態の人がおおいのではありませんか。

「古事記」神武東征のくだりは、歴史的事実の記録ではなく、神話というべきでしょう。しかし特定の神話が成立したということは、それまでに特定の人たちが特定の体験を積みかさねてきたこと意味します。

まずは古典の一言一句にこだわって、とことん意味をたしかめる姿勢が必要です。
「尾ある人=山男スタイルの人物」、
「ヰヒカ=井戸をヒク(掘る)技術者」、
「イハオシワク[石押分]の子=土木技術者」など、
個別の解釈をすすめたうえで、総合的に
「神武東征の中で、国づくりに必要な、さまざまの協力者たちをとりこんだ」という解釈にたどりつくことでしょう。

ここまでやってみて、はじめて「読んだ」、「分かった」といえるのではないでしょうか。

 

固有名詞は情報の宝庫
日本の国語学者の中には、地名・人名などについて、「これは固有名詞だから」といって、意味の追及を拒否する傾向が見られます。学問的な正確さを期するために「君子危うきに近よらず」ということかもしれませんが、ぎゃくに「職務怠慢ではないか」と批判されるかもしれません。

たとえば、日本人の姓には「山田・山上・山中・山下・山本…」、「河田・河上・河中・河本・河西…」、「田口・田作・田島・田尻・田添・田中…」など、地形・地理にあわせて命名されたと思われるものが多数あります。もちろん、出身地の地名をそのまま姓とする例も多数あります。

地名に、地形・地理を表わすコトバがおおいのは当然ですが、中にはその土地を開発した人たちのナマエをつけた例もあります。

時代が変わっても姓は変わりませんが、個人の呼び名のほうは時代の流れをつよく反映する傾向があります。おなじ男子名でも、「xxヒコ[日子・彦]・xxヒト[人・仁]」などはなんとなく古典的なイメージがともないます。「太郎・一郎・次郎・三郎・五郎」などは、ヤマトコトバとは一風変わった漢語のヒビキがよろこばれ、流行したものと思われます。ただし、サブロウ[三郎]は、やまとことばのサブラウ[候・侍]とヒビキあうコトバです。また、ゴロウ[五郎」は擬声・擬態語コロコロ・ゴロゴロや英語のglad, glass, glow, glory, goldなどともヒビキあう、ヒカリかがやくイメージのコトバです。

いずれにしても、人名・地名などの固有名詞には、地形・地理をはじめ、動物・植物・鉱物、あるいは衣料・食品・住居など無数の情報資料がつめこまれています。まさに情報の宝庫です。コトバの音形(発音)と意味(事物の姿)との対応関係をさぐるうえで、重要な情報源の一つです。

ついでにいえば、空を飛ぶトリに国境がないように、コトバはもともと(宇宙)空間を飛ぶものであり、国境も国籍もなかったはずです。いちど日本語・英語・漢語などいう区別をとっぱらって、あれこれ自由に比較してみたらおもしろいだろうと思います。