法師のヒゲ
法師のヒゲ
万葉集の中に、イケメンの法師たちのヒゲづらを笑った歌があります。
法師らが ヒゲ[鬢]の剃りクヒ[杭] 馬つなぎ いたくなヒキ[引]そ 法師は泣かむ(万。3846)
わかい法師たちは元気いっぱい。その顔に生えているヒゲは、まるでクイ[杭]を打ちこんだようにゴツイ姿です。もしも、だれかがこのクイ(ヒゲ)に馬をつないでヒカせたとしたら?
やっぱりイタがって泣きだすでしょう。そうなったら、せっかくのイケメンがかわいそう。ほどほどにヒクことにしましょうね。
この歌のおもしろさは、奇想天外の発想で聞くひとのワライをさそう点にあります。「人間の顔に生えるヒゲ」を「大地にクイこむクイ」に見立てています。「たしかにそのとおりだ」というひともいるでしょう。ぎゃくに、「そんなバカな話」というひともいるでしょう。ヒゲ・クイ・ヒクなどのコトバは、もともとどんな意味用法のコトバなのか、またどこまでの解釈がゆるされるのか、考えてみましょう。
ヒゲとクイは同義語
顔に生えるヒゲと馬をつなぎとめるクイと動詞のヒクとでは、まったく関係のないもの同士のように見えます。しかし、考えようによっては、ごく近い関係のコトバ同士にも見えます。顔にクイコムものがヒゲで、大地にクイコムものがクイ。その点で、ヒゲとクイはおなじ姿といえます。
ヒゲfigeはf-gタイプのコトバですから、まとめてp-kタイプにはいります。クイは歴史カナヅカイでクヒkufiですから、まとめてk-pタイプにはいります。ヒゲ(p-k)とクイ(k-p)とでは音韻構造がちがうので、同族語とはいえません。ただ、おなじ意味「クイこむもの」を表わす点で同義語とみることができます。ついでにいえば、クビ[首・頸]は「胴体にクイこむもの」ですから、クイ[杭]と同族です。
ヒゲとヒクは同族語
この歌では、p-k音名詞ヒゲとp-k音動詞ヒクが「ヒゲをヒク(ヒキヌク)」という文脈のなかでつかわれています。コトバとしての同族関係をしらべてみましょう。
ヤマトコトバでは、p-kタイプ2音節動詞としてハク[吐・掃・著]・ハグ[剥]・ヒク[引・弾]・フク[吹・葺・拭]・ヘグ[剥]・ホク[祝]など、多数成立しています。また、それぞれの動詞に対応してハカ[墓・量]・ハケ[刷毛]・ヒキ[引・弾]・ヒゲ[髭]・フカ[深]などの名詞や接頭語なども生まれています。
ヒゲ[髭・鬢]とヒク[引・弾]は、意味の上でどうつながるのでしょうか。そのまえに、ヒク[引]とヒク[弾]は1語でしょうか、2語でしょうか。わたしは、もともと1語だと考えます。おそらく、ヒクはピクピク・ピクリと同源。英語のpickともおなじ発想のコトバ。分析すれば、ヒ[日・梭]ク[來]のような構造で、一方的に相手を攻撃する姿を表わします。コトバとしては、はじめにまず生産技術用語としてのヒク[弾]が成立したと思われます。ただ、じっさいの動きとしては、ヒク[弾]動作はヒキトル[引取]動作と連動することで威力を発揮します。それでおなじ音形ヒクのままでヒク[引](ヒキトル)という意味用法が生まれたと思われます。その点は、英語のpickが「ツツク」と「(つついて)中味をヌキトル」と両方の姿を表わすコトバになっていることとおなじ現象です。
ピカリ・ヒカル・ヒコ
動詞ヒクは、ヒカ(未然)・ヒキ(連用)・ヒク(終止・連体)・ヒケ(已然・命令)のように活用します。同時に、これらの活用形はそのままの音形で名詞形としてもつかわれます。たとえば、ヒカは「ヒ[日・梭]ク[來]もの」(日光など)であり、「ピカピカ・ヒカル・ヒカリ」のヒカです。英語でいえば、「pickするもの=picker」といったところです。
ヒケはヒカの交替形ですが、「気がヒケル」などのヒケルは、相手にヒカレ[弾](pickされ)、負けてヒキさがる姿のようです。
ヒコ[日子・彦]も、ヒカの交替形で、「(太陽光線で)ヒク[弾]もの」、「先進利器の威力で、荒地をpickして耕地に変え、ミノリをヒキトルもの」などの姿と解釈できます。ヒコ[日子]とヒコ[彦]は、別々の漢字が当てられているため、関係のとぼしい2語にみえますが、ヤマトコトバとしてはただ1語です。英語でいえば、springという1語がハル[春]を意味したり、バネを意味したりするようなものです。
さて、pik-音のコトバには「尾有る人ヰヒカ」、「ヒコ大王」、「シラヒゲ明神」など、ちょっとナゾめいた、おもしろそうなコトバがたくさんあります。次回は、「古事記」(神武東征)に登場するヰヒカ[井氷鹿]をとりあげる予定です。おたのしみに。
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