2013年8月31日土曜日

「マキムクの日代の宮」の歌

...m-k音のコトバ③…

巻向遺跡地図A







  










 
  
 
景行天皇陵付近略地図
 
 
 
 
箸墓 古墳




画像について
マキムクに かんする 画像資料が うまく 見つかりません。たまたま ネットで 見つけた 地図 などを 借用させて いただき ました。

巻向 遺跡 地図 A・B…巻向駅・景行天皇陵・巻向山 などの 地名が のって います。ただし この 画像は 横長 すぎて、このまま ブログに 表示できそうに ありません。やむをえず 左右 2枚に 分けて みました。見にくい 点は ごめんなさい。

景行天皇陵 付近 略地図…「○○天皇陵」と いわれると、すぐに つぎの「箸墓古墳」のような 古めかしい イメージを もち やすい のですが、ネット 時代とも なると、こんなイメージで とらえられる ので しょうか?

箸墓 古墳…纒向 遺跡の 箸中に ある、最古級と 考えられて いる 古墳。3世紀 半ばすぎの 大型の 前方後円墳。倭国の 女王「卑弥呼」の墓と する「邪馬台国 畿内 説」も あります。

 

「マキムクの日代の宮」の歌
『古事記』雄略天皇、カナスキ[金鉏]岡・ハツセ[長谷] モエエツキ[百枝槻] 項に「マキムクの日代の宮」の歌がでてきます(岩波文庫版による)。

マキムク[纏向]の ヒシロ[日代]の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日がける宮 竹の根の 根垂る宮 コ[]の根の ネバフ[根蔓]宮 ヤホニ[八百土]よし い築きの宮…真木さく檜の御門新嘗屋に生ひ立てる…槻が枝は…上枝は 天を覆へり…枝の末葉は…落ち触らばへ…三重の子が ササガセル[] 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ ミナ[]こをろこをろに []しも あやにカシコシ[] 高光る 日の御子 事の カタリゴト[語言]も 是をば(.100)

「朝日・夕日が 照り輝く 宮殿」、「まわりに 木や 竹が しっかり 根を 張りめぐらして いる 宮殿」、「土台を しっかり 築き かためた 宮殿」などなど、おめでたい コトバが つづきます。

ところで、この歌に ついて、「マキムク[纏向] の日代の宮は、景行天皇の 皇居の 名。この歌は 元来 景行天皇 賛美の歌で あったが、それが 雄略天皇に 結びつけられた もの](倉野憲司脚注) されています。

 

「ヒシロ[日代] 宮」という 発想法
マキムク[纏向] 単なる 地名 だから、そんなに こだわる 必要は ない、と いわれるかも しれません。しかし、わたしは こだわりたいと 思います。地名や 人名には、命名者たちの サマザマな 思いが こめられて いるのが 普通だ から です。時間の 経過と ともに、生活環境が 変化し、地名の 由来など わすれられて しまう ことも ありますが、その 地名を たよりに、命名 当時の 状況を 復元できないとも かぎりません。おおいに 妄想を はりめぐらして みたいと 思います。いまは、歴史学・考古学 などの 研究が すすみ、だれでも インターネットで その成果を 利用できます。つまり、自分が たどりついた 解釈が 単なる 妄想か、それとも ある 程度 客観性・合理性の ある 仮説か、チェックできるでしょう。

ここで、マキムクと ならんで、「ヒシロ[日代]の宮」と いう 文句にも 注目したいと 思います。ヒシロ[日代]は、ヒ[]のシロ[代・城]、つまり太陽の城。ヒシロの 宮は、太陽の 城としての 宮、ということに なります。

「マキムクと よばれる 地域に 造営された 宮城」と 解釈する ばあい でも、地名 マキムクの イメージと ヒシロの宮(太陽の城)の イメージが 一致して いた から こそ、この ような 表現に なったと 解釈する ほうが ロマンが あると 思います。

 

地名マキムクの イメージ
それでは、マキムク いう 地名は どんな イメージの ことば でしょうか?当時の 人たちは、どんな 思い、どんな メッセージを こめて マキムクと よぶ ことに した のでしょうか?

ヤマトコトバで マキムクと いえば、マキ[巻・蒔・纏] ムク[向・剝] ぐらい しか ありません。現に、漢字で [纏向] 表記されて います。[] 漢字音は テンで、「マツワル・マトイツク」姿ですが、つまりは「マク・マキツク」姿と いう こと から、ヤマトコトバの マクに 当てられた わけです。

それでは、マキムク 地区 では、どんな モノや ヒトが マキムク[纏向]姿を 見せて いたのでしょうか?

まず 第一に 思いうかぶのは、日代の 宮の 姿、つまり 太陽と その ヨリシロ しての宮城(皇居) との ツーショットです。それは やがて、「天と地」、「山と川」、「男と女」、「陰と陽」などの 相関関係に つながります。太陽は この大地に マキつく姿で 運行し、地上の イキモノたちは 太陽と ムキあう こと よって 成長する ことが できます。また、すべての 動物の オスと メスは、たがいに マキついたり ムキだしたり する ことで 子孫を のこします。

 

『万葉集』に 歌われた マキムク
もう一つ、『万葉集』に 歌われた マキムクの 意味・用法が 参考に なると 思います。マキムク[巻向]10回、マキムク[纏向]1回、計11 でて きます。ほかに、マキモク[巻目]1 でて きますが、これも マキムクと いっしょに 見て よさそうです。これら12首は、すべて 柿本人麻呂の 作品と 考えられます。

まず、つぎの 3首に ついて、マキムクの 意味・用法を 考えてみます。

    三諸の その山並に 児らが手を 巻向山は ツギ[]のよろしも(. 1093)…「三諸の山並に 巻向山が ある」姿を「児らが 手を マキムク[巻向]」姿に なぞらえて います。

    巻向の アナシ[痛足]の川ゆ 往く水の 絶ゆること無く またかへりみむ(. 1100)…「巻向山」と「巻向の アナシ[痛足]の川」を「相互に マキムク[巻向] 姿」として とらえて います。

    巻向の 檜原に立てる 春霞 おぼにし思はば なづみ来めやも(. 1813)…「巻向の 檜原」と「春霞」を「相互に マキムク[巻向] 姿」として とらえて います。

こうして 見ると、マキムクは「親と子」、「山()と川(水・霞・雲)」などが マキついたり、ムキあったり する 姿です。アタリマエと いえば、ごく アタリマエの 姿ですが、そこにイキル(共生する) ことの よろこびを 感じて いる ことが 分かります。いいかえれば、そうした 宇宙観・自然観 あるいは 人生観を あらわす コトバだと いう こと でしょう。

 

「ミナ[] こをろ こをろに」の めでたさ
ここまで マキムクの 意味を 追求して きて、ようやく たどりついた のが「天と地」、「山と川」の 和合する 姿、いうなれば 山水画の 世界 でした。山水画に 直接 太陽の 姿が えがかれる ことは まず ありませんが、それは 四季の 風景などで 表現 されます。いずれに しても、山を えがく には、水(川・雲・霞など) つきものです。

そこで もう いちど、「マキムクの 日代の 宮」の歌を よみなおす ことに します。

この歌は かなり 長文ですが、はじめに まず「ヒシロ[日代]の宮」、「日照る宮」など、太陽の ヨリシロと しての 宮殿 である ことを 強調します。つづいて、「竹の根、コ[]の根」、「ヤホニ[八百土]」、「い築きの 宮」、「檜の 御門」、「新嘗屋」、「槻が枝」などの コトバで、「日代の宮」に 住む「高光る 日の 御子」の ゆたかな 生活を 歌いあげます。

そして 歌の 最後を、「山と川(水・雲・霞)」の水で しめくくります。

上枝…枝の末葉…落ち触らばへ…三重の子が捧がせる 瑞玉ウキ[] 浮きし脂 落ちなづさひ ミナ[]こをろこをろに 

めでたい 宴会の 席で、伊勢の国・三重の ウネメ[采女] ささげた サカズキに、なにかの 拍子で 落ちてきた モモエツキ[百枝槻]の葉が うかびました。たいへんな 失態です。あやうく セイバイ される ところ でしたが、ウネメの 機転で、「水が コヲロコヲロと 鳴って 固まる」姿 として、めでたく 歌い おさめました。それで、ウネメも 命を たすかった いう 物語に なって います(この項、倉野憲司脚注を参考)

 

前方後円墳形の メッセージ
さて、ここまで「マキムクの 日代の 宮」の歌に ついて 考えて きました。その 結論をまとめて いえば、皇居=日の御子の宮=日代の宮=太陽のヨリシロと しての 宮殿。つまる ところ、天・地・人の マキムク 姿 です。

そして 景行天皇も 雄略天皇も、神秘的な 伝説 ばかりが おおく、その 実像は まだ ナゾ だらけの まま ですが、考古学的に あきらかに された ことも あります。それは、いずれも 前方後円の 巨大古墳を きずいた 大王たち だったと 推定される こと です。

古墳と いう のは、お墓です。生存中の 宮殿に たいして、死後の ための 宮殿として、前方後円の 巨大古墳が きずかれた のです。「日代の 宮」設計の 原理が マキムク 姿だったと すれば、巨大古墳も また マキムク 姿を イメージして 設計されたと 考えて よいのでは ないでしょうか?つまり、後円部が (太陽) イメージ、前方部が (大地・山・生物)のイメージ。相互に マキムク 姿 です。

前方後円墳の 設計者たちは、このようなメッセージを 残してくれたと、わたしは考えています。
この点に ついては、まだまだ 議論の 余地が あると 思います。しかし、もう そろそろつぎの テーマ、「m-k音の漢語」に うつりたいと 思います。











0 件のコメント:

コメントを投稿