ネオ・漢字ものがたり⑤
s-m音漢字[浸・侵・寝]イラスト
s-m音の漢字[三] (甲骨文)
s-m音の漢字[参] (銅器銘文)
画像について
①
s-m音漢字[浸・侵・寝]イラスト…北日本新聞連載記事「漢字物語」(56)の記事「酒で祓い清めた廟」(09.5.10)から借用しました。イラストははまむらゆうさん作。
② s-m音の漢字[三] (甲骨文)…高明編『古文字類編』(中華書局)から借用しました。
③
s-m音の漢字[参] (銅器銘文)…同上。甲骨文はありません。
s-m音の漢字
現代漢語にs-m音の音節はありませんが、上古漢語では成立していたと推定されています。
ここでは、サム[三・参]・シム[心・浸]などs-m音の漢字をとりあげ、発音と意味との関係について考えてみることにします。
また、日本語s-m音との対応関係についても、あわせて考えてみたいと思います。
酒をシミこませ、清める
はじめに「漢字物語」(56)の記事「酒で祓い清めた廟」(北日09.5.10)について、ざっと紹介しておきます。この記事の中で、小山鉄郎さんはソウ[帚]に関連した漢字シン [浸・寝・侵]をとりあげ、イラスト入りで字形と意味との関係を分かりやすく解説しています。要約して紹介します;
ソウ[帚]は、木の先を細かく裂いたホウキ[箒]の形をしたもので、香りをつけた酒を振りかけ、祖先の霊を祭るミタマヤ[廟]などを祓い清める行為に使う…ソウ[帚]の字形が省略されて含まれている漢字の一つがシン[浸]=酒をシミこませたホウキ[帚]を手で持つ姿…シンデン[寝殿](宮殿の中心である正殿)に酒のにおいをシミ渡らせる…酒の香りが浸透(シミトオル)姿がシン[浸]。人の勢力がシミトオル姿がシン[侵]。
小山さんは、漢字の発音のことに触れていませんが、「お酒のにおいが寝殿の中に染み渡って」と解説しています。コトバは、やはり音声言語が基本です。シムという語音が根っこになって、そこから[浸・寝・侵]などの同族語が組織されてきたことが考えられます。
上古漢語音themと日本漢字音シム
ところで、シン[浸]がシミとおる姿だとすれば、まるで日本語(ヤマトコトバ)のシムとおなじ音韻感覚のコトバということになります。本当はどうなのか、できるだけ精密な議論をしてみましょう。
まずシン[浸・侵・寝]の上古推定音と現代音をしらべてみると、こうなっています。
tsem浸jin// ts’iem侵・寝qin//
ごらんのとおり、上古漢語語尾子音の-mが現代漢語で-nに変化しています。この点は、まえにもk-m音漢語[今・甘]などの例で見てきました(13.1.15号、13.2.19号参照)。
それにしても、tsemとシムでは同一語音とは考えられないという意見もあるかと思います。その点については、上古漢語音tsemを忠実に音訳したものが上代日本語音シムだったという事実を、あわせて考えるべきでしょう。上代日本語のサ行子音の音価についても、厳密にいえば、現代日本語のサ行音s-, sh-だけでなく、ts-やch-のような子音をふくめて想定するほうがよさそうです。
ツメコム姿とシミコム姿
一般論として、ts-m音語からs-m音語に変化した可能性はあります。打製石器から磨製石器、さらに金属器時代にはいるとともに、生産技術がより精密で効率的なものになり、そのことが技術用語に変化をもたらしたことが考えられます。
打製石器時代にタツ・タタク・クダク・ツクなど破裂音のコトバが生まれ、磨製石器時代にサス・スル・モム・ミガクなど摩擦音のコトバが生まれ、さらに金属器時代にはいり、精錬用にスミ[炭]がつかわれるようになってから、サム・シム・スム・セム・ソムなどs-m音語が世界中にシミわたった、と考えることもできそうです。
たとえば、耕作用の木製ツキ[突]棒が鉄製のハ[刃]をもつスキ[鋤]に変化しました。つまりt-k音からs-k音への変化です。
固体のままでは地面にツッコミにくいのですが、先端部分をホソク・ウスクすることで抵抗がちいさくなり、ツッコミやすくなります。
固体にくらべ、水・酒(液体)、あるいは酒気・煙(気体)などは超微粒子なので、どんなセマイところでもスイスイ・ツッコムことができます。この場合は、ツッコム・ツメコムなどより、シミコム・スミコム・セメコムなど、s-m音語で表現することがおおくなるようです。
漢語音tsemが日本語音シムとして表記されたという現象は、日本語の「t-k, t-m音からs-k, s-m音へ」の変化と連動する現象だったと考えてよいでしょう。
第3のサ[矢]がスミコム姿
漢語サン[三]の字形・音形と意味の関係について考えてみましょう。
サン[三]の字形は、上下二本のサ[矢]がならぶスキマに第3のサ[矢]がツッコム・スミコム・シミコム・シノビコム姿と考えられます。サムは、もとサ[箭・矢]ム[生・産]で、「矢がツキサス」姿を表わすコトバですが、ここではくわしい解説を省略します。
サムsam三・参sanは、やがて数概念を表わすコトバとなり、[参加・参集]などの意味用法も生まれました。
数概念のサム[三]は派生義
ヤマトコトバのミ[三]も漢語のサム[三[も、はじめから厳密な数概念としての「3」を意味するコトバとして生まれたわけではありません。ヒ(ヒトツ)と呼ばれるものがあり、そのヒにブツカル・フタをする姿のものがフ(フタツ)と呼ばれ、さらにそのフタツのスキマをミタス姿がミ(ミツ・ミッツ)と呼ばれただけのことです。
日漢語とも、まずは「漠然とした多数」の意味からはじまり、やがて厳密な数概念「3」としての意味用法が派生したと考えられます。
たとえば[三々五々]などという場合の人数は、3人でも、4人でも、5人でも一向かまわない、[漠然多数]でした。⇔some.
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