山田の住人たち
田をスク[鋤]ナ[刃]
画像について
これまで3回にわたり、梅本公美子さんのイラストを借用してきました。先日3回分のブログコピーをそえてお送りし、無断借用についておわびしました。10月3日、梅本さんからおりかえし承諾と激励の手紙をいただきました。おことばにあまえて、今回も「おかべ」86号にのったイラストを借用させていただきます。
石立たすスクナ御神
前号で、サケ[酒]によった応神天皇のツエに打たれ、岩がサケ[裂]たという故事を紹介しましたが、『古事記』神功皇后(応神の母)のくだりでは、サケ[酒]にかんする歌が集中的にでてきます。つぎの歌(神功)もそのひとつです。
このミキ[御酒]は わがミキならず クシ[酒]のカミ[司] トコヨ[常世]にいます イハタタス[石立] スクナ御神の 神ほき ほき狂ほし 豊ほき ほきもとほし まつりこしミキぞ…記.40
この歌がサケ[酒]づくりの技法をうたいこんだものであること、またここにいうスクナ御神が、出雲神話にでてくる大国主神の協力者スクナビコナ神と一致することは、まちがいありません。
ただ、「イハタタス」の部分について「石像としてお立ちになっておいでの」(岩波文庫本脚注)と解釈するのが普通のようですが、わたしはもう一歩つっこんだ解釈をしてはどうかと考えています。原文は「イハタタス[伊波多多須]」となっていて、イハは[石・岩・磐・盤]、タタスはタツ[断・絶・立]の尊敬または使役用法と考えられます。したがって、①「石像として立っておいでになる」とも、②「岩石をもお断ちになる」、あるいは「岩石をも立(起)たせる」とも解釈することができます。
このあと、神功の子応神がツエで岩に打ちかかり、サケ[避]ようとした岩が、みずからサケ[裂]てタチ[起・立]去ったという話になっています。その点から考えて、この歌のほんとうの趣旨は、酒づくりの技法とともに、酒づくりにかかわる技術用語の由来についても伝承することだったのではないかと思われます。そこで、サケ[酒]の神さまとされる「スクナ御神」というヨビナの由来がナゾ解きのカギになります。というのも、サカ[坂・酒]・サク[裂・咲・避]・サケ[酒]・スク[鋤]・スクナ[少]・スクナビコ[少名毘古]などが、すべてs-k音でつながる同族語だからです。
クヱビコの証言
「スクナ御神」の正体は、『古事記』の中でもナゾにつつまれていました。
イズモ[出雲]で国づくりにはげんでいたオホクニヌシ[大国主]神は、海の彼方からわたってくる神(後のスクナ御神)の姿に、なかば協力を期待しながら、なかば信じきれずにいました。おともの神たちにたずねても「分かりません」というばかり。タニグク(ヒキガエル)が「クヱビコ(カカシ[案山子]なら、きっと知っているにちがいありません」というので、すぐよびだしてたずねます。すると、「こちらはカミムスビ神の御子、スクナビコナ神でいらっしゃいます」と証言します。こうして、スクナビコナの身元が分かったことから、オホクニヌシとスクナヒコナの協力体制が組まれ、国づくりがすすんだということです。
タニグクとクエビコ
タニグク(ヒキガエル)が住んでいたのは、谷間の湿地帯。日本のイネ農耕は、ここからはじまりました。いわゆるヤマダ[山田]です。やわらかい地面なので、ツキ棒1本でアナを掘り、タネを埋めこんだり、できたイモを掘りだしたりできます。この時代、ヤマダ耕作の主役はこのツキ棒でした。ツキ棒は擬人化されてクエビコ[崩彦]とよばれました。国民栄誉賞なみの尊称です。
やがてイネ農耕が広まるにつれて、タロイモやキビ・アワなどからイネ中心の時代へ、そして木製のツキ棒から金属製のスキ・クワが主役の時代へと変化します。主役をはずされたツキ棒は、「ヤマダのカカシ」という脇役にとどまることになります。
クエビコ・カカシの語源をたずねるのも楽しみですが、それはまた別の機会にゆずります。
田をスク・ナの神
スクナビコナ[少名毘古那]神について、岩波文庫『古事記』脚注は「小人の意か。名義未詳」としていますが、わたしは「(田を)スク[鋤]ナ[刃]のヒコ[日子]」と解釈しています。棍棒のサキをとがらせただけのツキ棒にくらべて、金属製のハサキをもつスクナ(スキ・クワ)のほうが、よりスクナイ力でスクスク田をスクことができます。そこでたちまちクエビコ(ツキ棒)にかわって、スクナビコ(スキ・クワ)が主役として登場したと考えられます。
オホナとスクナ
オホクニヌシ[大国主]神というヨビナは、「広大な国土の主」という意味です。別名のオホナムチ[大穴牟遅]神は、どんな意味のヨビナでしょうか。前記『古事記』脚注は「名義未詳」としていますが、わたしは「オホ[大]ナ[刃]ムチ[持]」と解釈しています。スクナヒコの協力によって、大量の利器(武器)を生産・所持・運用できる大王になったという意味です。オホという語音がどうして[大・凡]の意味を表わすようになったか、定説はないようですが、わたしは「スク・スクナ・スクナキ」の場合と同様、オフ[覆・負・追・生]・オホ[大・凡]・オホキ[大]・オホシ[多]・オホス[生・負・課]・オホフ[覆]という単語家族が組織されている事実を認めることが、現実的・合理的だと思っています。つまり、動詞オフから形状言オホ・オホキ、形容詞オホシ、動詞オホス・オホフが派生したと考えています。
名詞オフ[白貝](ハマグリの大きなものか、というが、未詳)も、あるいは動詞オフの名詞用法と解釈してよいかもしれません。それは貝の身が貝がらをオフ[負]姿であり、また見方を変えれば、貝がらが貝の身をオフ[追・覆]・オホフ[覆]姿だからです。
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