…タニ[谷]と サワ[沢]の 基本義を さぐる (3)…
t-n音の 日本語
前回 見てきた 擬声・擬態語の 項 でも、t-n音語は 比較的 少数派 でした。いっぱんの 品詞語に ついて みても、t-n音語は やはり かなりの 少数派の よう です。以下、具体的に
チェックして
みます。
t-n 2音節の
上代語
動詞:
上代語から 現代語に いたる まで、t-n 2音節の 動詞(タヌ・チヌ・ツヌ・テヌ・トヌ)は 1個も 成立して いません。動詞 以外の 2音節語は、ほぼ つぎの とおりです。
名詞:
タナ[棚・板挙](棚。ものを のせたり、台に したり する 水平な 板)。*「タ[手]の ナ(なりもの)」。タ[手]の 指先まで ノバシ、開いた 姿。仮設動詞 タヌの 名詞形と 考えても よい。やがて タナ[棚]の 意に。→タナグモル(一面に 曇る)・タナゴコロ[掌]・タナハシ[棚橋]・タナバタ[棚機]・タナビク[棚引]。
タニ[谷](谷)。*タナ[棚]・タネ[種]と 同系で、語尾母音交替の
関係。また、漢語ダン[段]と 音義とも 近い。⇔サハ[澤]・カヒ[峡]・ヤ[谷](市ヶ谷・熊谷・渋谷・四谷)。
タネ[種](材料。種子。ものの 起こる 原因)。*「手を
ノバシ、ネ[根]づかせる もの」。タナ・タニと 同系の コトバ。タナとも。
チナ[千名](多くの 名。うわさの おおい こと)。
チニ[海鰤](ちぬ。タイ科の 海産 硬骨魚)。
チバ[千葉](葉が おおい こと)。
ツナ[綱・縄](綱。蔓状の 植物。<考>ツタ・ツラ・ツナは
もと
同源の
語で、とにかく
長い
つるを
いうか)。*「空間を
ツキヌケ、ツナグ、ナリモノ」。仮設動詞
ツヌの名詞形と
考えても
よい。ツノ・ツネと
同系で、語尾母音交替の
関係。
ツネ[常](平常。いつも。習性。不変の 状態)。*「ツナ[綱]・ツノ[角]の ネ[根]の 姿。空間を ツナグ ものが ツナ[綱]・ツノ[角]。時間を ツナグ 姿が ツネ[常]。
ツノ[角](角。鹿 などの 頭に ある もの)。*ツナ・ツネと 語尾母音交替の 関係。
トネ[刀禰](公事に たずさわる ものの 総称。*トノ[殿]で働く
職員たち。⇔トネリ[舎人]・トノ[殿])。
トノ[殿](貴人の 住む 御殿。転じて 貴人)*タナ・ツナ・ツノと 母音交替の 関係にある 語音。デーン・ドーンと
ツキデル
姿の
屋根を
もつ
家屋。→トノグモル(=タナグモル)。トノビク(=タナビク)。⇔タン[旦・段・炭]。テン・デン[田・天・傳・殿・臀・電]。
形状言:
タナ(一面に・十分にの 意。⇒トノ)。*テ[手]が
ノビル
姿。ダンダン・ドンドン・ノビひろがる
姿。
副詞:
ツネ[常](いつも 変わり なく。名詞 ツネの 副詞 用法)。
助詞:
ダニ(せめて~だけ でも。~さえ。⇔サヘ)。
3音節 以上の
t-n音語
3音節 以上の
t-n音語を 見ても 少数で、音形の 面でも かたよって いる ようです。
タナギラフ[棚霧合](四。一面に かき曇る)。.
タナグモル(四。一面に 曇る)。
タナシル(四。十分 わきまえる)。
タナビク[棚引](四。雲や 霞が 薄く 層を なして なびく)。
タナガ(時間的に 長い こと。タは 接頭語)。*「タ[手](ツキデル もの)+ ナガ[長]」の 構造。
タナレ(手に 持ち 慣れる こと。愛用)。
タニギル[手握](四。手で にぎる)。*タ[手]+ ニギル
[握]の 構造。
タニヘ[谷辺](谷の あたり)。
タノシ[楽](楽しい)。
タノム[憑・恃](四。頼りに 思う)・[令憑・令恃](下二。頼りに 思わせる)。*「タ[手]+ノム[飲・祈]」の 構造か。相手の テ[手](仕方)をノミコム 姿。
タノモ(たんぼ)。*タ[田]の オモ[面]。
チヌル[血](四。刃に 血を 塗る)。
ツナグ[認](四。跡を 追い 求める)。*客観的に 見て、次項と おなじ 姿。
ツナグ[繋](四。綱を ツケル。ツナ[綱]の 動詞化)。*「ツナ[綱] + グ」の 構造。
ツナム[嗜](四。タシナムの 意、あるいは ツナム[唾飲ム]か。未詳)。
ツナテ[綱手・縄手](引船の 引綱)。
ツナネ[葛根・綱根](タク[栲]や 葛の 綱で 柱の 下部と 横木とを 結び 固めた もの)。
ツネニ[常] (名。平常。つね 日ごろ)。(副。いつも 変わり なく)。
テナヘ[攣](手が きかなく なる こと)。
トナカル(とびあがる 意か)。
トナフ[唱](下二。唱える)。*「トナ(ツキデル 姿)に なる」。トナは、トネ・トノと 語尾母音交替の 関係。
トナミ[門浪](海峡に 立つ 浪)。*トは 甲類 カナ。
トナミ[鳥網](とりあみ)。*トは 乙類 カナ。
トナム[歴](下二。順に まわる。ナムは 並ブ、トは 接頭語か)。
トナメ[臀呫](交尾。トは 陰部の 意か。甲乙の 別は 未詳)。*ホト(乙類)・ミト(甲類)などの 用例が ある。
トナリ[隣](となり)。*動詞 トナルの 上代語用例が 見あたら ない.
トノト[殿戸](御殿の 入口)。
トノヘ[外重](殿の 外の めぐり)。
トノヰ[侍宿](御殿に 宿直する こと)。
t-n音語の 基本義
日本語 (ヤマトコトバ)の 音韻組織原則に したがって 考えれば、上代語の
段階で
t-n 2音節 動詞(タヌ・ツヌ・トヌ
など)が 成立し、その まわりに タナ・タニ・タネ・ツナ・ツネ・ツノ・トネ・トノなどの 名詞 および その他の 品詞語が 成立して いた はずです。しかし 現実は、上代語から
現代語に
いたる
まで
2音節 動詞は1個も 成立せず、3音節 動詞と して ようやく タノム・チヌル・ツナグ・トナフ・トナムなどが
成立して
います。T-n 2音節 動詞の
成立を はばんだ
事情とは どんな 事情か? その問題は、このあとで あらためて 議論する ことに して、ここでは まず、これまで とりあげた 「比較的 少数派」の t-n音 語彙資料から、「t-n音語の 基本義」を さぐる ことに します。
たとえば タナ・タニ・タネなど から、動詞 タヌを 仮設して みましょう。「タ[手] +ヌ[寝・去]」の 構造。「タ[手]が ツキデル・ノビデル」、「手足を ノバシ、ノンビリ、ネル[寝]」、「ツキデル 先で、ネ[根]を 張る」など、さまざまな
解釈が
できる
語音です。ぎゃくにいえば、タナは、仮設
動詞
タヌの
未然形
兼
名詞形で、「ツキデル・ノビひろがる
もの」。タニは、動詞
タヌの
連用形
兼
名詞形で、山と
山との
スキマを
ツキヌケル・ツラヌク・ノビユク
姿を
表わす
地形名。タネは、タナと
語尾母音交替の
語音で、やがて
タ(田・大地)に
埋められ、そこで
ネ[根]を はり、子孫に イノチを ツナグ
ことが
期待される存在。 仮設動詞
ツヌ・トヌに
ついても、おなじ
要領で
解釈
できます。ツナ[綱]・ツノ[角]は、ともに「ツキデル・ノビデル ナリモノ」。ツナグは、「ツナの
姿に
ナル」ことです。トノに
ついては、トノビクが
タナビク[棚引]と 同義で、「東国語形か」と されている ことも あり、「トノと タナは 母音交替の 関係」と 考えて よい でしょう。どちらも「ダンダン・ドンドン・ドーン・デーン」と 「ツキデル・ノビル・ネ[根]を ハリダス」姿です。
トネ[利根]川のトネの語源に ついては、トキミネ[尖峰]・トネタケ[刀根岳]・さらには アイヌ語 トンナイ (巨大な谷)など 諸説が ある との こと ですが、これも トネ[刀禰]・トネリ[舎人]や トノ[殿]などと おなじton-音語と して 考えて よいかと 思います。山と 山との スキマを ツキヌケ、ノビル
タニ[谷]川は、途中で おおくの 支流を ノミこんで 大河と なり、やがて 山間部を ネジロと して、平野部に ヌケ出した とたんに ハネを ひろげ、洪水を おこしたり、分流したり する ことが あります。一見、まったく
ちがった姿
ですが、「水は
低きに
つく」もの。谷川でも
タキでも
洪水でも、高所から
低地へ
むかって
ツキノビル 性格は ツネニ 一貫した ままです。
このように 見てくると、tan-, tun-, ton-などを ひとまとめに して、t-n音語の 共通基本義を 考える ことも でき そうです。あえて
オオザッパナ
いいかたを
すれば、タナ・ツナ・トノは
いずれも「ツキデル・ノビル・ツナガル・ネバル」姿を
共有して
いる
ようです。
s-p音の 日本語
s-p 2音節の上代語
◆動詞:
サフ[禁・障](下二。さえぎる。せきとめる)。
サブ(上二。ある 状態が 勢いの 赴く ままに、とめどもなく ひたむきに 進む)。
サブ[渋](四。さびる)・(上二。動詞サブが 接尾語化した もの。~らしく振舞う)。
シフ(四。不具・廃疾に
なる。感覚を
失う)・ [強](上二。強いる)。
スフ[吸](四。口で 吸う。吸いこむ)。
スブ[統](下二。一つに まとめる。統一する)。
ソフ[副・添](自四。寄り添う。沿う)・[副・添](他下二。添える。身近に 寄せる。なぞらえる。ヨソフ
とも)。
ごらんの とおり、サフから
ソフまで(セフを
のぞいて)、各段に2音節 動詞が 成立して います。
◆名詞:
サハ[澤](渓流。<考>現在のサハは、大体 東日本では 渓谷を、西では 沼澤を 指す)
サバ[鯖](サバ科の 海産 硬骨魚)。
サヒ[鋤](刀の 類。鋤の 類)。
サヘ[鉏](農具の スキ。サヒ とも)。
シバ[柴](雑木。低木。小枝。雑草)。
シヒ[椎](ブナ科の 常緑 大高木)。
シビ[鮪](マグロ。サバ科の
海産
硬骨魚)。
シブ[渋](栗の 渋皮。形容詞 シブシの 語幹の 独立した もの)。
シホ[塩・潮](塩。調味料)・シホ[潮](海水。ミチヒ[満干]を くりかえす もの)。
シホ(助数詞。色を 染める のに 布を 浸す 度数を 数える 語)。
スベ[便](方法。しかた。⇒スベテ)。
ソバ(ニシキギ科の ニシキギと いうが、疑わしい)。
ソヒ[副](かたわら。動詞 ソフ[副]の 名詞形)。
ソヒ(淡黄色。ソヒ豆 = 赤エンドウ豆の 色か)。
ソホ[朱](赤土。朱色の 顔料)。
◆形状言:
シバ[数](しきりに・何度もの 意)。→シバ 鳴く。シバ 見る。シバシバ。
◆副詞:
サハ[多](おびただしく)。.
◆助詞:
サヘ[副・幷](∼さえ。∼だに。~すら。すでに 存在する ものへ さらに 添加する。⇔ダニ)。
「~ヌ」タイプの 動詞は ゼロに
ちかい
ここまで、タニ・サハを 中心に 日本語の 音韻体系の 中で t-n, s-p音が はたす 役割を 見て きました。その 結果、s-p音では サフ・シフ・スフ・ソフなどの
2音節 動詞が成立して いる のに くらべ、t-n音では 2音節 動詞が 1個も 成立して
いない ことを はじめ、t-n音の 語彙数が 少数で、意味用法も かなり 限定されて いる ことが 分かりました。
ただし、語尾が ~ヌと なる 2音節 動詞が すくない のは、t-n音だけの こと では ありません。S-n音で サヌ[サ寝]・シヌ[死]、k-n音で カヌ[兼]・カヌ[不勝]が 成立して いるのは おおい 方で、あとは a-n音で イヌ[去]、p-n音で ハヌ[撥]が 成立して いる だけ。t-n, n-n, m-n, r-n音では ゼロと いうのが 実態です。
否定の 助動詞「~ヌ」と 混乱の
おそれ
どうして こういうことになったのでしょうか?いろいろ考えて、やっとその原因が見えてきました。それは、日本語で 動詞語尾に つけて打消しを 表わす 助動詞「~ヌ」とおなじ語形なので、混乱をおそれたためではないかということです。
n-音を 発声する ときには、「舌先を 上ハグキに つけて、口の 中の 息が 流れ出ナイ ように する。その 息が 鼻に ヌケて、共鳴音 n-が 発声される」。この こと から、n-音の基本義と して「ヌ・ナイ(no, not)」などの 否定的な 感覚と、「ヌケ出る・ナル[成・生・鳴]・ノル[乗・宣]」などの 積極的な 感覚を あわせもつ ように なったと 思われます。
助動詞と いう のは 動詞の 語尾に つけて 否定の 意を あらわす もの なので、かりに 積極的な 意味で タヌ・ツヌ・トヌなどの 動詞を つくったと しても、否定の 助動詞 ヌと 区別が
つかず、混乱する おそれが あります。たとえば
k-n 動詞 カヌの ばあい、カヌ[兼] (下二。兼ねる)と カヌ[不勝](下二。~できない)が 成立して いますが、まったく
おなじ 語形で
あり
ながら、まったく
反対の 意味を 表わして いて、いささか 混乱の 観を まぬがれ ません。
その点、サヌ[サ寝]・シヌ[死]・イヌ[去]・ ハヌ[撥]などの ばあいは、もともと マイナス (イキル・クルなどと 正反対)の イメージ なので、ライバル
不在の
まま、t-n音 動詞として 成立できたと いう こと でしょうか。
ここまで 来ると、日本語の
タナ[棚]・タニ[谷]・トノ[殿]と 漢語の ダン[段]・デン[田・殿]など との 関係も 気に なります。また、英語の
「no, notと knoll¹(小山), knoll²(鐘が ナル), knot(結び目)との 関係」なども 気に なります。
次回は、t-n、s-p音の 漢語・英語を チェックした うえで、あらためて 日本語 t-n、s-p音の 基本義に ついて 考えて みる 予定です。
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