…m-k音の 意味を 考える
はじめに
先日の 『古事記』を 読む会の 例会で、今年度は
毎回
会員が
まわりもちで
研究報告を
行う
ことに
なり、さしあたり7月は Kndさんが 「ヤマトタケル」に ついて、9月には イズミが 「マキムクの 日代の 宮」に ついて報告する 予定と なりました。
じつは、この テーマは わたしに とって 数十年来の 研究テーマ であり、とりわけマキムクと
いう m-k音語の 解釈を めぐって、この ブログで 5回に わたって とりあげた ことが あります。公開年月日と タイトル など、つぎの とおり です。
2013.7.24 m-k音の コトバ…マク[娶・巻・負・蒔・罷・任・設]・ムク[向・平]・マガタマ[勾玉・曲玉]。
2013.8.18. m-k音の コトバ(つづき)…「マギ 求めた ムギが やって 来た」、「どうして
ムギと
よばれたか?」、「m-k音の 意味」、「マク・マカ・マキの 造語法」
2013.8.31. 「マキムクの 日代の 宮」の 歌…「ヒシロ[日代]の 宮」と いう 発想法…地名 マキムクの イメージ…『万葉集』に 歌われた マキムク…前方後円墳形の
イメージ。
2013.9.9. m-k音の漢語…日漢m-k音の共通基本義をさぐる…草葉のカゲにマカル[罷]姿…神を マギ 求めて マウ[舞]、ミコ[巫女]…マカル・マガル・ミマカル 姿の 漢字=モウ[亡・忘・忙・妄]…マキバ[牧場]は、マク[牧]バ[場]…ムクムク 目を ムク 姿=モク[目・木]…マギ もとめて いた ムギ[麥]が 来た。
2013.9.20. m-k音の 英語…日本語に なった m-k音 英語=マーク・マーケット・マグネット・ミキサー・ミックス・メーク・メーカー・メーキング…m-音と k-音、両基本義の連合…m-k音語根と その 派生語。
こんど 研修会で 報告させて いただく のを 機会に、前記 5回分の ブログを もう いちど 書きなおして みようと 思います。発表や
質疑応答の
時間には
制限が
あります
から、あれも
これもと
欲ばって
発表すると、議論の 焦点が ぼけて くる 心配が あります。また、発表者と
聞き手の
問題意識が ズレて いる 場合にも、議論が
カミあわ
なかったり、消化不良状態に
なったり
します。
マキムクは、もともと 景行天皇(12代)の 皇居所在地の 地名と されて いますが、「マキムクの 日代の 宮の歌」(記.100)が 記録されて いる のは 雄略天皇 (21代)に かんする 記事の 中 です。また、『万葉集』の 中で マキムクを 歌いこんだ ものが 11首 ほど ありますが、いずれも
柿本 人麻呂の 作品と されて います。
いずれに しても、人名や 地名には、命名した
人びとの
さまざまな
思いが
こめられて
いる
はずです。まずは
マキムクと いう
語音を 手がかりと して、やがて 「マキムクの
日代の 宮」の
全体像に せまりたいと 思います。
「マキムクの 日代の 宮」の 歌
『古事記』雄略天皇、カナスキ[金鉏]岡・ハツセ[長谷]の モエエツキ[百枝槻]の 項に「マキムクの日代の宮」の歌がでて
きます(岩波文庫版に
よる)。
マキムク[纏向]の ヒシロ[日代]の宮は 朝日の 日照る宮 夕日の 日がける宮 竹の根の 根垂る宮 コ[木]の根の ネバフ[根蔓]宮 ヤホニ[八百土]よし い築きの宮…真木さく 檜の御門 新嘗屋に 生ひ立てる…槻が枝は…上枝は
天を覆へり…枝の末葉は…落ち触らばへ…三重の子が
ササガセル[捧] 瑞玉盞に 浮きし脂 落ちなづさひ ミナ[水]こをろこをろに コ[是]しも あやにカシコシ[恐] 高光る 日の御子 事の カタリゴト[語言]も 是をば(記.100)
ごらんの とおり、「朝日・夕日が
照り輝く
宮殿」、「まわりに
木や
竹が
しっかり
根を
張りめぐらして
いる
宮殿」、「土台を
しっかり
築き
かためた
宮殿」など、おめでたい
コトバが
つづきます。倉野 憲司 (岩波版 校注者)は、「マキムク[纏向] の日代の宮は、景行天皇の皇居の名。この歌は元来景行天皇賛美の歌であったが、それが雄略天皇に結びつけられたもの」と 解説して います。
「マキムク[纏向]は 単なる 地名 だから、そんなに こだわる 必要は ない」と 考える人も いる よう ですが、わたしは 「こだわる べき」と 考えて います。地名や 人名には、命名者たちの
サマザマな
思いが
こめられて
います。時間の
経過と
ともに、生活環境が
変化し、地名の
由来など
わすれられて
しまう
ことも
ありますが、その
地名を
たよりに、命名
当時の
状況を
復元
できない
とも
かぎり
ません。おおいに
妄想を
はりめぐらして
みれば
よいと
思います。いまは、歴史学・考古学
などの
研究が
すすみ、だれでも
インターネットで
その成果を
利用できます。自分が
たどりついた
解釈が
単なる
妄想か、それとも
ある
程度
客観性・合理性の
ある
仮説か、チェック
できる
時代
なの
です。
マキムクの イメージ
マキムク とは どんな 姿か? まず 第一の テガカリが 「マキムクの 日代の 宮」の 姿。つまり、太陽と
その
ヨリシロ
と
しての宮城(皇居) との ツーショットです。それは やがて、「天と地」、「山と川」、「男と女」、「陰と陽」などの
相関関係に
つながります。太陽は
この大地に
マキつく姿で
運行し、地上の
イキモノたちは
太陽と
ムキあう
こと
に
よって
成長する
ことが
できます。また、すべての
動物の
オスと
メスは、たがいに
マキついたり
ムキだしたり
する
ことで
子孫を
のこします。
「ヒシロ[日代]の
宮」という 発想法
ここで、マキムクと
ならんで、「ヒシロ[日代]の 宮」と いう 発想法にも 注目したいと 思います。ヒシロ[日代]=ヒ[日]の シロ[代・城]=太陽の 城。つまり、太陽の 城と しての 宮殿という発想法です。
東洋でも、西洋でも、どの 国でも、一国内では 国王を めざして 権力闘争が すすめられ、国内で
最高権力者と
しての
地位を
固めた
のちは、やがて
まわりの
国々とも
競争したり、協力したり
して、世界一の
国
づくりを
めざす。そう
いった
闘争の
歴史をくりかえして
きました。どの
権力者たちも、人間の
能力
だけ
では、旱魃・洪水・地震・落雷
などの
自然災害を
防止
できない
ことを
知って
いました。そこで、自分たちの
地位を
太陽
(もしくは 月・星)に なぞらえ、その 権威に あやかろうと した わけです。 「マキムクの 日代の 宮」も、こうした 世界史の 流れの 一環と 考えれば、なるほどとナットク
できるかと
思います。
マキムクの 語音分析
国語辞典を 見ても、地名以外に
マキムクと
いう
項目は
ありません。マキと
ムクの2語に
分解して
しらべる
ほか
ありません。イズミ流の
分類法
では、マキと
ムクは
ともに
m-k音語で、マキは 動詞 マクの 連用形 兼 名詞形、ムクは 動詞 ムクの 終止形 (基本形)と いう ことに なります。
ヤマトコトバの m-k音は、2音節 動詞と して マク・マグ・ムクの 3音形が 成立して いる だけで、ミク・メク・モク などの 音形の 動詞は 成立して いません。ただし、動詞
マクに
当てられる
漢字は
[娶・巻・枕・蒔・任・罷・負・設・貯] など 多数 あり、活用形の 面でも 四段と 下二段に わかれます。マクという1音形に、どうして
これだけ多数の
漢字が
当てられた
のか? どんな
原理に
よる
ものか? たしかに
フシギです。
以下 ご参考までに、イズミ仮説に
よる
解釈をご紹介
します。
マクは、「マ+ク」と いう 構造の コトバ。マ=ma=m-するもの=マ[目・眼・真]=ウマ
レル もの。ウミダス もの。ク=ku=k-する=ク[来・消]=①(途中で ヒッカカリ ながら、のりこえて) 來る。②(ヒッカケられ)欠けて、消え去る。したがって、マク=マ+ク=①(男女・山河 などが) マク[娶・巻・枕]、②マク[蒔](種子に 土を マキつける)、③マク[任]、④マク[罷・負] (マカ[巻]れる=マケ[負]る)、⑤マク[設・貯] (マク[娶・巻・蒔] 作業や シカケを する ことで、結果が 期待できる)。マク[任・罷・負・設・貯]と 英語makeとの 対応関係に ついては、あとで あらためて 議論する 予定です。
動詞 マグは、マグ[求・覓](四)と マグ[勾・枉](下二)の 2語と して 成立して います。原理的には
マクに
ちかい「マ+グ」の
構造を
もつコトバ。意味用法も
マクに
準じて解釈でき
そう
です。男と
女、山と
川
などが
たがいに
マギ求め、マキついたり、マキつけたり
します。そして、マク[巻] 姿は マガル[曲]・マゲル 姿 です。
動詞 ムクは、ムク[向・平] (四・自)と ムク[向・平] (下二・他) の 2語と して 成立して います。さきほど マクを「マ[目]ク[来]」の 姿と 解釈しましたが、ムクに
ついても
「ムク=ム[産]+ク[来]」と 解釈する ことが できます。「ミカンの皮を ムク[剥]」のムクとおなじく、「目の 上下 マブタを ムク=目玉を ムキダシに する=目を ムク[向]=服従する(させる)」ことに なります。
『万葉集』に 歌われた マキムク
もう一つ、『万葉集』に
歌われた
マキムクの
意味・用法が
参考に
なると
思います。マキムク[巻向]が10回、マキムク[纏向]が1回、計11回 でて きます。ほかに、マキモク[巻目]が1回 でて きますが、これも マキムクと いっしょに 見て よさそうです。これら12首は、すべて 柿本人麻呂の 作品と 考えられています。
まず、つぎの 3首に ついて、マキムクの
意味・用法を
考えてみます。
①
三諸の その山並に 児らが手を 巻向山は ツギ[継]のよろしも(万. 1093)…「巻向山」の姿を「児らが 手を マキムク[巻向]」姿に なぞらえて います。
② 巻向の アナシ[痛足]の川ゆ 往く水の 絶ゆること無く またかへりみむ(万. 1100)…「巻
向山」と「巻向の アナシ[痛足]の川」を「相互に マキムク[巻向] 姿」として とらえて います。
③ 巻向の 檜原に立てる 春霞 おぼにし思はば なづみ来めやも(万. 1813)…「巻向の 檜原」と「春霞」を「相互に
マキムク[巻向] 姿」として とらえて います。
こうして 見ると、マキムクは「親と子」、「山(檜)と川(水・霞・雲)」などが マキついたり、ムキあったり する 姿です。アタリマエと いえば、ごく アタリマエの 姿ですが、そこにイキル(共生する) ことの よろこびを 感じて いる ことが 分かります。いいかえれば、そうした
宇宙観・自然観
あるいは
人生観を
あらわす
コトバです。
「ミナ[水] こをろ こをろに」の めでたさ
ここまで マキムクの 意味を 追求して きて、ようやく たどりついた のが「天と地」、「山と川」の
和合する
姿、いうなれば
山水画の
世界
です。山水画に
直接
太陽の
姿が
えがかれる
ことは
まず
ありませんが、それは
四季の
風景などで
表現
されます。いずれに
しても、山を
えがく
には、水(川・雲・霞など) が つきものです。
そこで もう いちど、「マキムクの
日代の
宮」の歌を
よみなおす
ことに
します。この歌は
かなり
長文ですが、はじめに
まず「ヒシロ[日代]の宮」、「日照る宮」など、太陽の ヨリシロと しての 宮殿 である ことを 強調します。つづいて、「竹の根、コ[木]の根」、「ヤホニ[八百土]」、「い築きの 宮」、「檜の 御門」、「新嘗屋」、「槻が枝」などの コトバで、「日代の宮」に
住む「高光る
日の
御子」の
ゆたかな
生活を
歌いあげます。そして
歌の
最後を、「山と川(水・雲・霞)」の 水で しめくくります。
上枝…枝の 末葉…落ち 触らばへ…三重の
子が
捧がせる
瑞玉ウキ[盞]に 浮きし 脂 落ち なづさひ ミナ[水] こをろこをろに…
めでたい 宴会の 席で、伊勢の国・三重の
ウネメ[采女]が ささげた サカズキに、なにかの 拍子で 落ちてきた モモエツキ[百枝槻]の葉が うかびました。たいへんな 失態です。あやうく
セイバイ
される
ところ
でしたが、ウネメの
機転で、「水が
コヲロコヲロと
鳴って
固まる」姿
として、めでたく
歌い
おさめました。それで、ウネメも
命を
たすかった
と
いう
物語に
なって
います(この 項、倉野 憲司 脚注を 参考)。
前方後円墳形 からの メッセージ
さて、ここまで「マキムクの 日代の 宮」の歌に ついて 考えて きました。その 結論をまとめて いえば、皇居=日の御子の宮=日代の宮=太陽のヨリシロと しての 宮殿。つまる ところ、天と地が
マキムク
姿
です。
景行天皇も 雄略天皇も、神秘的な 伝説 ばかりが おおく、その 実像は まだ ナゾ
だらけの
まま
ですが、考古学的に
あきらかに
された
ことも
あります。それは、いずれも
前方後円の 巨大古墳を きずいた 大王たち だったと 推定される こと です。
大王たちは、生存中の 宮殿に あわせて、死後の ための 宮殿として、前方後円の
巨大古墳を
きずきました。「日代の
宮」設計の
原理が
マキムク
姿だったと
すれば、巨大古墳も
また
マキムク
姿を
イメージして
設計されたと
考えて
よいのでは
ないでしょうか?つまり、後円部が 天(太陽)の イメージ、前方部が 地(大地・山・生物)の イメージ。相互に
マキムク
姿
です。巨大古墳の
設計者たちは、前方後円と
いう
墳形の
中に、このような
メッセージを
のこした ものと、 考える ことが できます。
ここまで、マキムク[巻向]を 中心に m-k音 日本語の 意味を さぐって きました。次回は 漢語・英語のm-k音語に ついて、その 基本義を たずね、日本語 m-k音 との 対応関係を さぐりたいと 思います。
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