2012年11月14日水曜日

シラヌヒとツクシ

 
「カード64s-r
 
 
 「カード64n-p
 
画像について
前回につづいて、2005年に発表した「カード64」の中からs-rn-p2枚を使用しました。イラストは、富山市の切り絵作家梶川之男さんの作品です。
ひとくちにs-r音語といっても、日本語だけでサラ[皿・更]・サル[猿・去]からシリ[尻・後・知]・シロ[城・代・白]・スル[擦・刷・擦・為]・ソラ[]・ソリ[反・剃・橇]・ソル[反・剃]まで、たくさんのs-r音語があります。もちろん、それぞれ独立した意味をもつコトバだといえますが、それでもs-r音を共有する点でなにがしかの基本義を共有しているのではないかと追求するのが「64音図」の考え方です。できればさらに、漢語sarsha/ サイser西・洗・細xi、あるいは英語salt, salad, salary/ sleep, slack, slope/ series(ソロイ)などとの共通感覚をさぐろうとします。
n-p音語についても同様です。この画面ではニハ[]・ニハトリ[]・ニフ[丹生]の川だけしか出ていませんが、ほんとうはナハ[]・ナフ[]・ニヒ[]・ヌフ[]・ノブ[延・伸]などをふくめて共通する基本義があるとみています。それは漢語ニフniepru/ ナフnepnaや英語nephew()new, nowなどを連想させる語音だということです。
たとえば雪どけの季節、水源地帯のニフ[丹生](赤土)が川に流れこみ、川の水がニブ[]色になります。ちいさな流れが、ナハ[]ナフ[綯・納]ようにつぎつぎ合流し、ニフ[丹生・入]の川は谷間をヌフ[]ようにノビ[延・伸]てゆきます。平野部に出たとたん、たちまちハネをひろげて氾濫。水が引いたあと、ニハカ[]づくりのニハ[庭・丹羽]がのこされることになります。こうして、ニフ[丹生・入]の川はニフ[](new)川、ニヒ[]川と変身します。つぎつぎ合流・分流して新たな生命(new life)が生まれる姿は、やがてネヒ[婦負]メヒ[]nephew()の姿です。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
 枕詞の役割
前回まで、「ハルヒ[春日]のカスガ[春日]」、「タカヒカル[高光]ヒノミコ[日皇子]」、「トブ[][]トリ[]アスカ[飛鳥・明日香]」など、枕詞のシクミについて考えてきました。日本語独特の用語法とされているものの実態がすこしだけ見えてきた感じです。
「ハルヒ[春日]のカスガ[春日]」、「トブヤトリ、アスカ[飛鳥・明日香]」などというコトバは、現代人の耳には「古代王朝貴族の優雅な生活から生まれた悠長なコトバヅカイ」と聞こえるかもしれませんが、ほんとうはそれほど単純なものではなかったようです。おなじヤマトコトバといっても、実態はおおくの民族・部族のコトバのヨセアツメ、つまりチャンポン語です。ヤマト政権の指導者たちは、国家としての基礎をかためるために、ヤマト地方のコトバを土台にして、日本列島の住民たちとの共通語をつくろうと、いろいろクフウしました。そのクフウの一つとして枕詞が生まれたと考えられます。
 
シラヌヒとツクシ
今回は「シラヌヒ[白縫]、ツクシ[筑紫]」という枕詞用法について考えてみます。これは、「シラヌヒ=(地名)ツクシ[筑紫]」という発想で、「ハルヒのカスガ[春日]」や「トブヤトリ、アスカ[飛鳥・明日香]」などと同類と思われます。
問題は、どうして「シラヌヒ=地名ツクシ[筑紫]」ということになるかです。つまり、シラヌヒとツクシという語音のあいだにどんな共通項があるかです。
シラヌヒについて国語辞典(『時代別国語大辞典、上代編』三省堂)
シラヌヒ[白縫] 枕詞。ツクシ[筑紫]にかかるが、語義およびかかり方未詳。[]ヒは甲類であるが、火ノヒは乙類であるから、シラヌヒ[不知火]の意ではあるまい。シルを領知する、ヒを霊魂の意として「シラ[]ヌヒ[]ツク[]」の意でツクシにカカルとする説は、注目される。
と解説しています。
ツクシについては、もうひとつのツクシ[土筆]があります。わたしは、ヤマトコトバとしては、ツクシ[土筆]とツクシ[筑紫]はもともと1語だと考えてよいと思います。ツクシ[土筆]
は、別名ツクヅクシと呼ばれるとおり、「ツクツク・ツキ[突・付]・ツクス[]」姿です。それは、「天に向かってツキタツ」姿であり、「いくつもの節がツギツギにツク[着・付]・ツグ[次・継・接]」姿であり、また「一つのことをやりツクス[]」姿でもあります。
ツクシ[筑紫]という地名の由来については不明ですが、漢字[筑紫][][土筆][]も、タケ[]に縁があり、シ[]はムラサキという植物の名です。
あれこれ総合して考えてみると、ツクシ[土筆・筑紫]は「ツ[津・突]+クシ[串・櫛]」、「ツク[突・付]+シ[]」、「ツク[突・付]+クシ[串・櫛]」の姿をもつ植物ということになります。
コトバは生きものです。時代や地域とともに変化します。ツクシというコトバは、石器時代から使われていたかもしれません。おそらくはまず「ツク」、「クシ」などのコトバが生まれ、やがて「地面をツク[]クシ[](原始農耕用の突き棒)をツクシと呼ぶようになり、おなじ姿をした草をツクシと呼ぶようになったと考えることができます。ツクシを漢字でドヒツ[土筆]と書くのは漢語に翻訳した感覚であり、[筑紫]と書くのはヤマトコトバのツクと漢字音チクがともにt-k音で音義とも近いことを利用したものです。
 
「シラヌ・ヒ」と「シラ・ヌヒ」
シラヌヒについては、前記[不知火][不領霊]のほか[白縫]と解釈することができ、前記国語辞典でもミダシ語をシラヌヒ[白縫]としています。
シラヌヒ[不知火]とシラヌヒ[不領霊]は、ともに「シラヌ+ヒ」という構造をもつ点で一致しますが、甲類カナのヒ[]と乙類カナのヒ[]に分かれます。これにくらべてシラヌヒ[白縫]は「シラ+ヌヒ」という構造になっています。
シラは動詞シル[知・令知・領]の未然形兼名詞形と考えることができます。ヤマトコトバでは、動詞シルを軸にして、シラ[]・シリ[後・尻]・シル[]・シロ[白・代・城]などのコトバが成立しています。s-r音の基本義はスル・コスル姿。舌のさき一点で発声されるマサツ音がス、面として発声されるマサツ音がシです。大根をシリ[]からスリ[]おろすと、シロイ[]シル[]が出ます。その汁をススル[]ことが、やがてその味をシル[]ことになります。男の子と女の子は、オシリをスレあってダンスすることで、たがいにシリアウことになります。
さらにいえば、シラガ[白髪]・シラギ[新羅]・シラギヌ[白絹]・シラグ[]・シラヒゲ[白髭]シロガネ[]などのs-r音語があります。ヤマト政権とシラギ國とのあいだには政治・経済・文化とも全面的な交流がありました。シラヒゲ[白髭]明神はサルタヒコ[猿田彦]といい、高麗系の神かともいわれています。
ヤマト政権は、イネ農耕で日本列島改造をすすめました。それをささえたのが、タチ・ツルギをはじめスキ・クワなどの利器をつくる技術であり、その基本が金属をシラグ[]精錬技術です。それはまた、不純・不要なものをサル[]技術です。
 
シラヌヒ [不知梭]=シラヌヒ[白縫]
ここで、シラヌヒにかんする解釈(仮説)をまとめてみます。ご教示をおまちします。
シラヌヒは、いちおう[不知火・不領霊・白縫]などと表記することができます。ただし上代語の段階では、甲乙カナのちがいから見て、[不知火]の意味用法は成立していなかったと思われます。その点で、シラヌヒ[不領霊・白縫]はともに成立します。理論上からいえば、[不知日][不知梭]も成立すると思います。ヤマトコトバで甲類カナのヒ[日・氷・梭・霊・檜]は、いずれも共通の「(飛び)ツク」姿(日光・ツララなど)をもっているからです。
シラヌヒ[白縫]について、これ以上議論している時間がなくなりました。結論をいそぎます。シラヌヒ[不領霊]と解釈してもよいのですが、[不知梭]と解釈した方が具体的な姿が見えてきます。[]は、織機のタテ糸の目にヨコ糸をツキ通す舟型器具のこと。はじめて見る人々にとって、「見知ラヌ」先端技術のツクシ(ツキ串・ツキ棒)だったでしょう。
このシラヌヒ[不知梭]は、[白縫]とおなじ姿と解釈することができます。ヤマトコトバではシル[]とシラ[]・シラグは同族語であり、ヌヒ[]も動詞ヌフの連用形兼名詞形です。ヌヒのヒは甲類カナで、「ヌフ[][]」はヌヒバリ[縫針]の姿ということになります。シラギの国の「(金属を)シラグ[精・白]技術が、いちはやくツクシ[筑紫]の国へ伝来したことから、やがて「シラヌヒ[白縫]・ツクシ[筑紫]」という枕詞用法が生まれたと考えてよいかと思います。
 
『古事記』の中のシラとツクシ
このブログをまとめる段になって、あらためて気づかされたことがあります。
『古事記』の中にシラガ・シラギ・シラヒなどのs-r音語と地名のツクシ[筑紫]が数回出てきます。両者がセットで出てくることもあります。
ツクシ[筑紫]のうち、ツクシ[筑紫]シラヒ[白日]ワケ[]という。(上巻、大八島国の生成)  
②タカチホ宮からへ向かい、ツクシ[竺紫]の岡田宮に一年…カムヤヰミミ命はツクシ[筑紫]のミヤケ[三家]連の祖。(中巻、神武東征)
ツクシ[筑紫]のカシヒ宮に坐しまして…御船の波瀾シラギの国に押しあがり…そのコニキシ[国王]かしこみて…シラギ[新羅]の国はミマカヒ[御馬甘]と定め…(中巻、仲哀天皇、神功皇后の新羅征討)、
シラギ[新羅]のコニキシ[国王]の子、名はアメノヒボコ渡来(中巻、応神天皇、天の日矛)
⑤ツブラオホミの娘カラ[]姫を娶して…シラガ[白髪]…御名代としてシラガ[白髪](下巻、雄略天皇
タシラガ[手白髪]を娶し…ツクシ[竺紫]イハヰ[石井]反乱(下巻、継体天皇)
『古事記』の記事は神話や伝説の要素がおおく、そのまま歴史的事実と認めることはできません。しかし、古代日本語の語彙資料としては第1級の資料です。
たとえば枕詞「シラヌヒ、ツクシ」の成立過程について考えるばあい、その素材となる「シラ・シル・シロ」、「ヌ・ヌフ・ヒ」、「ツク・クシ・ツクシ」などs-r, n-p, t-k, k-s音のコトバが『古事記』の中で使われていることが分かります。さらに「ツクシ[筑紫]国=シラヒ[白日]ワケ[]」、「カラ[]姫を娶して…シラガ[白髪]」などの記事から、シラ[]がシラギ[新羅]のシラに通じる語音だということも見えてきます。
『古事記』や『万葉集』の原文はすべて漢字で書かれ、いちおう「漢文」の体裁になっていますが、その一方で、日本語を書きしるす文にしようと、漢字の用法にクフウがこらされました。漢字の音だけを借りた「万葉カナ」の方法がその一つ。もうひとつは、ひとつひとつの漢字をヤマトコトバの音でよむようにしたことです。
こうして、漢字は東洋のロゼッタストーンになったといってよいでしょう。
 

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