「カード64」s-n音
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「シナザカル、コシ」という枕詞用法にちなんで、「カード64」の中からs-n音, s-k音, k-s音、3枚のヨミフダをご紹介する予定でした。しかし今回のブログでは、シナザカルのシナの語音について考えるのが精いっぱいだったので、s-n音のカード1枚だけにしました。
シナ・シネ・シノなど、s-n-音語の基本義を考えるうえで、なにか参考になればと願っています。イラストは、切り絵作家梶川之男さんの作品です。
シナザカル、コシのナゾ
枕詞シナザカルは、どうして国名のコシ[越]にかかるのでしょうか。国語辞典(『時代別国語大辞典・上代編』、三省堂。以下「国語辞典」と略称)では、「シナ[級]ザカル[離]で、都を高しとし、ヒナ[鄙]を低しとする考えから、上下遠く離れた、の意によってかかるか」としながら、「意味・かかり方未詳」としています。つまり、シナ[級]・サカル[離]・コシ[越]の3語の意味・用法について、まだ疑問がのこっているということでしょう。
それでは、「64音図」方式を応用して、シナ[級]・サカル[離]・コシ[越]3語それぞれの基本義がどんなことなのか、また相互にどんな関係が成立しているのか考えてみましょう。
シナ型の枕詞
まず、シナのつく枕詞について国語辞典の解説を参考にします。シナザカル…前記のとおり。
シナタツ…地名ツクマ[筑摩]にかかる。語義およびかかり方未詳。
シナダユフ…サザナミヂ[楽浪道]にかかる。語義およびかかり方未詳。
シナテル…地名カタヲカヤマ[片岡山]・カタアシハガハ[方足羽河]にかかる。語義およびかかり方未詳。
ざっと見たところ、4例のうち3例までが「シナ+動詞」の構造になっています。つまり、シナは「サカル・タツ・テル」姿をもっていることが推定されます。また、シナザカルがコシにかかり、シナタツがツクマ[筑摩]にかかることから、コシ[越]やツク[附・筑・突]の姿をもっていることになります。
「シナダユフ・サザナミヂ[楽浪道]」をどう解釈すればよいか、かなりむずかしいのですが、まずは「シナ[級・品・科]ダ[田]ユフ[結]」・「サザナミ [漣・楽浪]ヂ[道]」と解釈できると思います。遠浅の水辺の地形で、つぎつぎ押しよせるサザナミの姿は、まるで「シナダ[級田・科田](段々畑)をユフ[結](つくり出す)」姿のように見えるというわけです。
ここまでシナの意味をさぐってきましたが、いまひとつ正体が見えてきません。このあと、枕詞だけでなく、ひろくsin-音のコトバについて考えてみることにします。
sin-音のコトバ
国語辞典から、sin-音のコトバをひろってみます。*印のあとにイズミの解釈をのべます。
シナ…①[階・品・科]階段。層をなして重なったもの。②[階・品・科]上下。差別。種類。*シナは、動詞シヌの未然形兼名詞形。シナ=シ[石]ナ[名・菜]=石のナリモノ=石器、とりわけ石棒。武器・調理器その他用途がひろく、おおくの種類・階級に分かれる。また、「イノチをツナグもの」という共通点から、石棒=男根として造形され、信仰の対象ともされた。上代語では、単なるシナモノ[品物](もの)という意味・用法はなかった。
シナタリクボ…陰門。クボに同じ。*シナ[品](男根)タリ[垂]クボ[窪]。
シナフ…①草木が茂ってたわみナビク。②しなやかなさま。
シナム…隠す。シナブとも。*シナをシノビこませ、外部から見えなくする姿。
シナ[品]メク…品よく見える。上品である。*磨製石器のシナは、打製石器よりも上品に見える。
シナユ[萎]草葉がしおれる。人が思いうなだれる。*シナの姿になる。
シニ…シヌの名詞形。
シヌ[死]…*「シ[石]+ヌ[寝・去]」の姿。シノ[小竹・篠]の姿になる。漢語音シsier死siを参考。また、シンsien辛xinを参考。シノ[篠]のように、先端がシナシナと細くなっているハモノ。人体にシノビこみやすい構造。
シネ[稲]…*シナの語尾母音交替とも解される語音。シノ[篠]をふくむイネ科植物の代表。イネもイナの母音交替。イネの葉はシナシナとして、シン[辛]の姿。ノギ[禾]があり、刃物のようによく切れる。
シノ[小竹・篠]…竹の、小さく細くむらがって生えるもの。*シナ・シネの語尾母音交替。
シノグ[凌]…①押し伏せる。押さえつける。②押しわけるようにして進む。③圧倒する。
シノニ…ぐったりと。草がナビク、心がしおれるさま。*シノ[小竹・篠]のように。
シノノニ…ぐっしょりと。
シノノメ[細竹目]…未詳。篠を編んで作った簾のようなものをいうか。同音のシノ・シノフに続く。
シノビ…秘密。シノブ(上二段)の名詞形。*シノ[小竹・篠]がシノビこむ姿。
シノビニ[密]…秘密に。こっそりと。*同上。
シノフ[思]…①慕う。偲ぶ。②賞美する。*同上。
シノブ[忍・隠]…堪え忍ぶ。包み隠す。*同上。
sin-音語の共通基本義
ここまで紹介したとおり、いまの日本語文は漢字表記が中心になっているため、シノ[小竹・篠] ・シノグ[凌] ・シノノメ[細竹目] ・シノフ[思] ・シノブ[忍・隠]など、1語ごとに別々の漢字で書き分けられています。一面、それはヨイこと、必要なことです。しかし、別の一面で見ると、それはワルイこと、ムダなことでした。シノ
・シノグ
・シノノメ
・シノフ
・シノブなどのコトバがシノという音形を共有していることは、これらのコトバが語根sin-から派生した同族語であることのアカシです。漢字で表記した(いちど漢語に翻訳した)ことで、そのアカシが見えなくなってしまったわけです。
サカル[離]は、サカル[被割]姿
シナの解釈に熱中していて、かなり時間がかかりました。このあと、サカルとコシの解釈がのこっています。手を抜くのはいやですが、結論をいそぎましょう。
シナザカルのザ音は、「シナ+サカル」の連濁によるものです。
動詞サカルは、漢字で[盛]・[疎・離]・[逆]などと書き分けられ、国語辞典でも3語としています。しかし、ヤマトコトバの組織原則からみて、サカルは「(動詞サク[割・裂]の未然形)サカ+ル」、つまり動詞サクからの派生語です。サカル[盛・疎・離・逆]はいずれも四段活用。共通の基本義をもち、3語に分割する理由が見あたりません。
ここで、シナを調理器具の石棒と考えれば、石棒は石皿や石臼・スリバチに当たってサカ[割・裂]レルことになります。まさにシナザカル姿です。
ついでにいえば、サガル[懸・下]もサカルと同系のコトバと考えられます。
コシ[越]の実像
さいごにコシ[越]の解釈です。
コシ[越]は、動詞コスの連用形兼名詞形。コは甲類カナ。ほかにコシ[腰・輿]やコシキ[甑・轂]などもありますが、コが乙類カナなので、別系統のコトバとされています。
コシは、コシ[漉・漉石]やコシ[粉石]と解釈することも不可能ではありません。コス[漉]姿はコス[越]姿であり、食材をコ[粉]にする石棒はコシ[粉石]とよばれた可能性があります。
コシ[越]の国は、ヤマト政権が成立する以前から、ヒスイのマガタマなどをつくる先進的な石器製作基地だったことが分かっています。その点からは、シナザカル[品被割]というよりシナザカル[品盛]姿だったかもしれません。
ここまできて、ようやく「シナザカル・コシ」の実像が見えてきたように思いますが、いかがでしょうか。
コトバの意味変化
コトバは生きものなので、時間や環境とともに変化します。ひろく世間に流行することもあり、すたれて死語となることもあります。
また、おなじコトバでも、口にする人の立場のちがいによって、まったくちがった意味に変化して伝わることがあります。「シナザカル・コシ」も、その1例かと思われます。
ヤマト地方の住民の中には、コシ[越]の国は「山坂をコシ[越]た辺地」と感じるひともあり、また「マガタマをつくる先進技術をもつ国」と感じるひともいたことでしょう。そして21世紀日本人の大部分は、「シナザカル・コシ」といわれても、なんのことやら分からず、フシギの国のジュモンかと感じるようになっています。
コトバとは、そういうものです。ハカナイといえば、ハカナイ話ですが、コトバのオモシロサもそこにあるかと思います。