コトバの 音形と 意味との
対応関係
前回は、「地質ニュース563号」に 掲載された 隈田 実 論文「日本列島に
おける、地形用語と しての
谷と 沢の
分布」の あらましを 紹介すると ともに、「古代民族の 文化圏との 接点」と して 提案された 隈田仮説に たいして、「一読しての 感想」を のべさせて いただきました。
この 問題の 基本は、ある 特定の 地形が、A地域では タニと 呼ばれ、B地域では サワと 呼ばれれて いると いう 実態 から、ぎゃくに A地域の 住民と B地域の 住民との人間関係(抗争・住み分け・交流 など)を 読みとく ことが できないかと いう ことだと 思います。
そこで 今回は、日本列島の
どんな
地域の
住民たちが、どんな
事情で、どんな
意味を
こめて、タニ または サワと いう 語音で 呼ぶ ことに なった のか、考えて みる ことに します。
コトバと モジの 区別
本論に はいる まえに、まず ひとつ、おことわり
して
おきたい
ことが
あります。それは、この種の
議論を
する
とき、コトバとモジを きっちり 区別して 考えると いうこと です。いま 日本 では、タニを [谷]と 書き、サワを [沢]と 書く のが 普通です。しかし、むかし 日本 では、タニや サワと いう コトバ(語音)は できて いたが、それを 記録する モジが できて いない 時代が ありました。そこへ
漢語・漢字が 伝来した ので、ほぼ おなじ 意味を 表わす 漢字と して、[谷]や [澤]を えらび、タニ・サワと 読む ことに しました。
幸か 不幸か、漢字は もともと 象形から はじまった 表意モジ です。一見した だけで、その コトバの 意味(事物の 姿)を 連想する ことが できます。しかし、そこまでが
限度
です。たとえば
コク[谷]の ばあい、もともと
k-k音 漢語コク[谷](両側を 岸壁で カコム・コク・シゴク[扱]姿の 地形)を 表わす ために つくられた 字形 なので、当然 コクと 讀まれますが、日本語でt-n音 タニと 讀まれる ことは 想定外 でした。ぎゃくに、現代漢語 では、コクモツ[穀物]を [谷物]と 表記して います。日本人に
とっては「そんな
バカな…」と
いった
感じが
する
かも
しれませんが、もともと「穀物=固い
カラで
カコミ、コク・シゴク姿 から 生まれた ナリモノ」です から、漢語の 音韻感覚と しては、「穀物 = コク[扱] もの」で あり、なんの 違和感も ない わけ です。
こうして、漢語では
k-k音で コクと 讀まれた [谷]ですが、日本語の 文脈の なかでは、t-n音で タニと よまれる ことに なりました。そればかりか、イチガヤ[市ヶ谷]・シブヤ[渋谷]の ように ヤ[谷]と 讀まれる ことも あります。もし かりに、この [谷]が 英語の 文脈の なかに とりこまれると すれば、valley などと 讀まれる ことに なる かも しれません。
その点 では、サワ[沢]の 音形や 字形 などに ついても 複雑な 事情が 見られます。サワは 現代カナヅカイで
あり、もとの
ツヅリ
(歴史カナヅカイ)は サハ。漢字の [沢]は [澤]の 日本製 略字。いまの 中国の 略字は 水偏だけ 共通ですが、ツクリの 部分は シャク[尺]とは まったく 関係の ない 字形に なって います。漢語 タク[澤]の 基本義に ついては、のちほど
あらためて
議論しますが、ここでは「草地と
水たまりが
つづく
湿地」、「タク[擇・度]などと 同系の コトバ」と だけ 指摘して おきましょう。t-k音の コトバと なれば、日本語の
ダクダク・ドクドク(血・汗が
流れ出る
さま)や
ツク[突・付・着]・ツヅク[続] など との 対応関係が 考えられる かも しれません。
いずれに しても、まずは 日本語 タニと サワに ついて、あらいざらい
身元しらべをしておく
ことが
必用です。このあと、t-n音、s-p音の「擬声・擬態語」および「品詞語」を とりあげ、さまざまな
角度から
比較・分析し、「音形(語音)と 意味との 対応関係」を さぐる ことに します。
t-n音の 擬声・擬態語
タン(ト) (たくさん、どっさり)
タンマリ(たんと・どっさり)
チャン(ト) (きちんと)
チャンチャン(刀で 打ちあう
音)⇒チャンバラ。
チョン(しるしに 打つ 点)⇒チョンギル・チョンマゲ[丁 髷]。
チョンチョン(拍子木を 打つ 音)
チョンビリ(少し ばかり)チョンボリ
とも。
チン(①鼻汁を かむ 音。②鐘を 打つ 音)。
チンチン(湯の 沸く 音)。
チンマリ(小さく まとまって いる さま)。
ツンツン(①すまして、愛想の
ない
さま。②匂い
などが
強く
刺激する
さま)。
ツンマリ(= チンマリ)。
デンデン(太鼓の 音)。
デンデン バラバラ(めいめいが 勝手気ままに 散乱する さま)。
デン(ト) (どっかり と)。
トン(物が 突き当たる 音。たたく 音)。
ドン(①強く つく さま。②太鼓の なる 音。③弾丸の 発射される 音)。
ドンチャン(太鼓 などを たたいて さわぐ さま)。
ドン(ト) (①強く つく さま。②音を 立てて 発射する さま。③音を 立てて 落ちる さま。④波が 打ち寄せる さま。⑤じゅうぶんに。どっさり)。
トントン (①双方 おなじで 差異の ない こと。②つづけて
たたく
音。③物事の
障り
なく
進むさま。+
ドンドン (①太鼓・弾丸を つづけて 打つ 音。②水が 勢い よく 流れ 落ちる さま。③とどこおり
なく
進む
さま。
ドンブラコ(= ドンブリコ)。
ドンブリ (物の 水中に 落ちる 音。ドブン・ドブリ)。
ドンヨリ (①空が うすく 曇った さま。②顔色・目つき
などが
はっきり
せず、うるんでいる
さま)。
*チャン・チョン・チン・デン・トン・ドン
などは、たたく 音を 連想させる 語音。
*チャンチャン・チンチン・ツンツン・デンデン・トントン・ドンドン
などでは、同音を くりかえす ことで 「ツキデル・ツヅク」姿が 強調される。
*タン(ト)・タンマリ・チンマリ・ツンマリ・デン(ト)・ドン(ト) などの 意味の ちがいは、第1音節の 母音 (口形の大小)の ちがいに よる。
*一見した
ところ、t-n 擬声・擬態語 から 直接 タニ・タナ・ツナ・ツノ・トノ などのt-n音語を 連想する ことは ムリの ようだ。ドンブリや
ドンブラコ
では、ようやく
水の
気配が
感じられるが、それは「don- + bur-」の 構造に よる もので、ドンの 基本義とは 考えられ ない。しかし、ぎゃくに 両者の あいだに なんの 関係も ないと 証明する ことは、さらに むつかし そうだ。そこに なにか 共通項が ないか、もういちど
考え
なおして
みよう。
*たとえば、擬声語の
トントンを 名詞の オト[音]や 英語の tone(音)と くらべて みよう。
日本語では、オツ[落](オチル)と いう 動詞が あって、その 語尾母音を
変える だけで 名詞 オチ[落](オチル こと)や オト[音](オチル とき、ツキデル もの)が うまれる、と 考える ことが できる。擬声語の トントンの トンは、ツチ[槌] などで タタク (高い 位置から オトス[落] )ときの オト[音]。漢語のトン[頓] dunは、頓挫・整頓 などの トン。ツチで タタク (高所から オトス、その あと ちょっと トマル) 姿。英語のtoneは、その オト[音]の こと だが、しらべて みると、t-n音語 トネ[刀禰・利根]・ツネ[常]・ツナ[綱] などに つながり そうな 意味用法を もって いる ことが 分かった。t-n音語の 基本義の
一面を 見とどけた 思いが する。
*ツヌと
いう
動詞は
成立して
いないが、擬態語
ツンツンや
名詞
ツナ[綱]・ツノ[角]、形状言 ツネ[常]などが 成立して いる。そこで、動詞 ツヌ(ツキデル・ツキヌク
姿)を
想定して、そこから 名詞 ツナ・ツノ(ツキデル
ナリモノ)が 生まれたと 考えることが できる。
*同様に、仮設動詞
タヌ・トヌ(タ[手・田]・ト[外・門・戸・処]が ツキデル・ツキヌク・ネル・ネバル・ネマル 姿)を 想定して、そこから 名詞 タナ[棚・種]・タネ[種]・タニ[谷]などが 生まれたと 考える ことが できる。いずれも「空間 または 時間を ツキデル・ツキヌク
姿」を 共有する。
*デン ト(どっしり と)も 「シリを ツキダシ、空間を
占める」姿。漢語 テン・デン[殿・臀・澱]を 連想させる 語音で ある。
*タン(ト) ・タンマリ・ツンツン・ツンマリ・ドンドン などに ついては、もと タム[運・溜]・ツム[摘]・トム[富・尋・求] などの t-m音が やがて t-n音に 統合された 結果と 解釈する 方法も 考えられる。
s-p音の 擬声・擬態語
サッパリ(①さわやかな さま。②あっさり
した
さま。③全然)。⇔サハヤカ。
サバサバ[爽爽](さわやかな さま。サッパリ)。⇔サバ[鯖]・サハヤカ・サハル[障]。
ザブ (水中に 飛びいる ときの 音。ザンブ)。⇔サフ[障]・サブ[渋・錆]。
ザブザブ(水などを 動かす 時の 音)。
ザブリ(勢い よく 水に 投じ、または 水を かける 時の 音。ザンブ)。
サワサワ<サハサハ[爽爽](=サバサバ)。⇔サハ[沢]
サワサワ<サハサハ[ [騒騒](騒がしく 音を 立てる さま)。
ザワザワ<サハサハ[ (①ひどく 雑音の 立つ さま。②さわがしい さま)。
ザンブ (物を 水中に 投じる ときの 音。ザップリ)。
シッポリ(水で ぬれる さま)。
シブシブ[渋渋] (いやいや ながら。シブリ ながら)。
シオシオ <シホシホ
(①涙などに ぬれる さま。②[悄悄]しおれ よわる さま)。⇔シボム(しおれる)・シホホニ(ぐっしょりと)。
ジャブジャブ (水を かきまわす 音)。
ショボショボ(①小雨の しとしとと 降る さま。②雨に ぬれた さま。③目が 涙に しめって いる さま)。
ションボリ(淋しく わびしそうな さま)。⇔ショボショボ。
シワシワ[撓撓](ものの
しなう
さま)。⇔ジワジワ。
ジワジワ(ものごとが 次第に ゆっくりと 進む さま。水液 などの しみ出る さま)。
スッパト(①たやすく 物を 切る さま。②物を 貫き通す さま)。
スッパリ(全く。すっかり)。⇔ダンゼン[断然]。
ズップリ(①水・湯などに
全体を
つける
さま。②雨などに
全身が
ぬれた
さま)。
スッペリ(①すっかり。のこらず。②平らで
滑らかな
さま)。
スッポリ(①物事の 滞らぬ さま。②深く おおう さま)。
スパスパ(①タバコ などを 吸う さま。②たやすく
行う
さま)。⇔スフ[吸]。
ズバズバ(遠慮 なく、また 容赦 なく物事を する さま)。
ズバ ト(①突然に 事を なす さま。②刀で 勢い よく 斬る さま)。⇔ズバリ。
スパリ(①気持ち よく 切る さま。②タバコを
吸う
さま)。
ズバリ(刀で 勢い よく 切断する さま。②相手の 急所を つく いいかた)。
スブスブ(すぼまり 細る さま)。⇔スブ[統]・スフ[吸]。
ズブズブ(①水や 泥に 沈み 入る さま。②ひどく ぬれる さま。③やわらかい ものに 突きさす さま)。⇔スブ[統]・スフ[吸]。
ズブリ(①水中に 沈み 入る さま。②やわらかい
ものに
刺しこむ
さま)。
スベスベ[滑滑](なめらかな さま)。
スポン(物を 筒などの 中に 入れ、または その 中から 引き抜く ときの 音。ズボン とも)。
ゾベソベ(①物の つややかな さま。②しまりの
ない
さま)。
*t-n音に くらべて、s-p音の 擬声・擬態語の ほうが やや 多い ようだ。そして、ザブザブ・シッポリ・ショボショボ・ズップリ
など、「水。水に ぬれる」姿を あらわす ものが 多い。
*サワサワ・ザワザワ
などは、現代人の
感覚では
単なる
雑音と 考えられる かも しれない。しかし、上代語に「サワク[騒](動四。さわぐ。ざわめく)」、「サワサワニ(副。騒がしく)」などの
用例が
あり、サヰサヰ・サヱサヱと
同類の
擬声語と
解されること、また
シホザヰ[潮騒]などの
用字法とも
あわせ
考えると、これらの
擬声語は
「日常の 生活に 必要な コトバ」だった ことが 分かる。貴族は 別と して、いっぱん 庶民たちは、川や
沢で
飲み水や
魚・貝‣鳥
などを
採集し、調理したり、加工したり
した。その
沢の 流れ から 生まれる 音が、サワサワ・ザワザワ・ジャブジャブジャブ など。沢の 存在は、城を
めぐる
ホリ[堀・濠]の
役割を
はたす
ことも
ある。沢を
わたる
音を 聞く だけで、敵の
侵入を 察知する
ことも
できた。
*シブシブ・シワシワ・ジワジワ
とは、どんな
姿か?「水面の 波が、岸の 地面に おしよせて
くる」姿と 解釈する。この 大自然の
シワザに 反撃できる ものは、だれも いない。シブシブ・シオシオ(<シホシホ)シッポリ・ションボリ・スッポリ、ぬれる
ほか
ない。上代語で、シフ(動四。感覚を 失う)・シフ[強](動上二。強いる)が 成立して いる ことも、その 例証と いえる。
次回の 予定
はじめの 予定では、t-n音・s-p音の 擬声・擬態語 だけで なく、名詞・動詞 などの 品詞語に ついても 一気に とりあげる つもり でしたが、いざ とりかかって みると、そう簡単な わけには ゆきません でした。タニ[谷]と 漢語 ダン[段]、トントン(拍子)の トンと 英語のtoneとの 対応関係 など、奇想天外の
名案・迷案が
ドンドン
出て
きました。本人は
けっこう
楽しかった
のですが、読者の
方は「トンダ 迷惑]、「ついて ゆけない」と 感じられた かも しれません。しかし、コトバと いう ものは、音韻感覚の 法則に したがって 整列する 面と ともに、ときに 奇想天外の
変身ぶりを 見せる ことも ある よう です。わたしと しては、「疑わしき」は 「ひとまず、とりあげて
おく」ことに
しています。こんご
とも、よろしく
お願い
します。
そんな しだいで、「t-n音語・s-p音語の 基本義を さぐる」作業は、次回に まわさせていただきます。