「犬は『びよ』と鳴いていた」
ブログの予定を変更(おわび)
前回までの「t-t音の日本語・漢語」につづいて、今回は「t-t音の英語」について考えてみる予定にしていましたが、途中いろいろな事情で変更に変更をかさねました。不手際の点、おわび申しあげます。
朝日新聞5・31記事
6月8日、千葉の佐藤正樹さんからいただいたハガキに「朝日新聞夕刊5/31号で『日本語の海へ8』を読み、泉さんのブログ拝見…」とありました。あいにく朝日新聞を購読していないため、どんな内容の記事か分からず、あちこち電話で問いあわせたあげく、東京本社からその記事コピーを送ってもらうことができました。
オノマトペ研究の成果
「日本語の海へ8」は「2音目が『ぶ』水なんだ」という見出しで、高津祐典記者の署名記事でした。尾田栄一郎(漫画家)・夏目房野之介(漫画研究者)・山口仲美(明治大教授)・田守育啓(元兵庫県立大教授)などの業績を紹介し、これまで「擬音・擬態語」(オノマトペ)が世間でどんな評価をうけていたか、また最近どこまで認知度が上がったかについて解説しています。その一部だけ紹介します。
…オノマトペは「幼稚」「子どもっぽい」と批判を浴びてきた。その急先鋒が森鴎外や三島由紀夫だった。山口仲美は、大御所の研究者に「擬音語擬態語なんて研究しても意味がない」とまで言われた。
山口は27歳の時、国語学会の発表で力説した。
「第2音節に『ぶ』がくるのは、いつの時代でも水に関する言葉です。がぶがぶ、げぶげぶ、どぶどぶ、じゃぶじゃぶ、ざぶざぶ、しゃぶしゃぶ。みんな『ぶ』がくる」
会場からドッと笑いが起きた。法則性に驚き、意表をつかれたのだろう…
玄関のチャイムは「ピンポン」になり、厚底靴がはやると「ガッコンガッコン」人が歩く。「その時代の価値観や文化が直接表れる。それをたどると、人間の歴史や営みが見えてくる」。山口は今、小中学校の教科書に執筆を頼まれるようになり、オノマトペは韓国や東南アジアでも盛んになってきた。
…田守育啓も、早くからオノマトペを研究…1981年にオノマトペを英語で表現する辞典作りにかかった…欧米語はオノマトペの多くを動詞で言い換えてきた。ニコニコは英語だと「smile」。ではゲラゲラはどうか…作業をはじめて15年。「日英オノマトペ大辞典」が完成した。項目は1700に及ぶ。
辞典を作る過程で、いくつもの「音の普遍性」に気づいた。馬の足音は「パカパカ」「カポカポ」。英語では「クラップクラップ」。どちらもKとPの音になる。
Sはスイスイ、スラスラ、スルスル…。「滑らかさが表れる。Sが持っている音声的な性格です。人間には共通の感覚があると思う」…
「犬は『びよ』と鳴いていた」
わたしはこの記事を読んではじめて、山口仲美さんや田守育啓さんたちのオノマトぺ研究が日本の学会でも認知され評価される時代になったことを知り、たいへんうれしく感じると同時に、じぶんの不勉強ぶりを恥ずかしく思いました。そのごネットで調べてみて、山口さんが「犬は『びよ』と鳴いていた」(光文社新書、2002年刊)の著者だったことに気づき、あわてて本棚から取りだして読みなおしたりしました。本のタイトルが意表をつくものだったことから、「あの本の著者」ということで記憶がつながりました。サブタイトルは「日本語は擬音語・擬態語が面白い」となっていました。
象形言語説と擬音・擬態語
2002年というと、わたしが〈財法〉カナモジカイ機関誌「カナノヒカリ」に「日本語のルーツをさぐる」シリーズ(47回)を連載(1995年9月~2003年6月)していたころです。
「象形言語説という仮説」(873号)からはじまり、「タタラヒメ・テラ・テラス・テラフ」(880号)でt-r音、「カツ[勝・割]=cut」(893号)でk-t音を取りあげ、音形とその基本義との対応関係をさぐりました。
「クッキリ・clear」(915号)、「ギラギラ・glass」(916号)、「クルマとcycle」(918号)などでk-r音語を取りあげ、「64音図のこころみ」(919号)ではこのシリーズのまとめとして、日本語(ヤマトコトバ)と漢語と英語の共通音図(案)づくりを提案しました。
2000年10月、中国語学会で「ピカ・PICKER・ピカリ・霹靂の系譜」と題して研究発表をおこない、おなじテーマで12月、〈財法〉富山県教職員厚生会発行の「教育・文芸とやま」第6号で「ピカピカ・ピッケル・ビックリ・霹靂」を発表しました。
あすへの期待
山口さんが「小中学校の教科書に執筆を頼まれる」など、オノマトペの認知度が高まってきたのはよいことです。それはもちろん、「子どもっぽい」表現しかできない国民を養成するためではありません。その逆です。いまの日本語は、「同音異義の漢語など、耳で聞いただけでは、意味が分からないコトバ」や「美辞麗句をならべるだけで、気持ちが伝わらないコトバヅカイ」など、おおくの問題をかかえています。オノマトペに関心をもつことは、やがて「耳で聞いただけで分かる日本語」をひろめることに役だちます。またオノマトペには「人間に共通の感覚」がつよく残されていることから、それだけ「民族のワクをこえて分かりやすい」、つまり「国際理解への近道」ということにもなります。
さらには「コトバとはなにか」「日本語とはどんなコトバか」「日漢英の語音は、どれだけの共通感覚をもっているか」「日本語人・漢語人・英語人は、どうやって相互理解できるのか」などの問題を考えるトッカカリにもなるのではないでしょうか。
あとがき
このブログは、もともと6月19日にいちど「公開」したものです。それがなにかのミスで消えてしまいました。キカイ音痴の老人には、どこでどんなミスが発生したか、原因不明です。オロオロと文面を一部修正し、もういちど「公開」することにしました。