2011年11月22日火曜日

コトダマのサキハフ国

萬葉集二、とびら(日本古典文学大系)


万、894、原文 

万、894、書下し文

万、894、頭注 






山上憶良、好去好来の歌
万葉集894、山上憶良「好去好来の歌」という長歌の中に「コトダマのサキハフ国」という文句が出てきます。この歌は、憶良から遣唐大使丹比広成へ献じた壮行の歌。「どうか無事唐土へわたり、使命を果たしたうえ、また無事ヤマトまでお帰りください」そんな願いをこめて、縁起のよい、おめでたいコトバをえらんで歌いあげています。
せっかくの「めでた文句」について、あまりヤボな議論はしたくありません。しかし、だいじな文句ですから、コトバの解釈や用法について、正確を期したいと思います。
この「コトダマのサキハフ国」は「コトダマがサカエル国」と解釈すべきものか、それとも「コトダマが幸福をもたらす国」と解釈すべきものか?それが、きょうのテーマです。
話をすすめる資料として、とりあえず「日本古典文学大系・万葉集」(岩波書店、1959。以下「古典大系」と略称)から関係部分を引用します(下線は引用者)
[
原文]
 神代欲理 云傳久良久 虚見通 倭国者 皇神能 伊都久志吉国 言霊能 佐吉播布国

 等 加多利継 伊比都賀比計理
[
書下し文]
 神代より 言ひつ[]て來らく そらみつ やまと[]の国は すめかみ[皇神]の いつ

 く[]しき国 ことだま[言霊]の さき[幸]はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 
[
頭注]
 言霊…言語の持つ霊力。言語に神秘な力があって、人の禍福を左右するものと考える

  開社会の風習は世界各国に行われている。
 幸はふ国…幸福をもたらす国
[
大意]
 神代から言い伝えてきていることには、大和の国は皇神の稜威のいかめしい国で、言霊

 の幸ある国であると語り継ぎ言い継いできた。

 「幸はふ()」は自動詞(連体)用法
ごらんのとおり、サキハフについて[頭注]では「幸福をもたらす国」、[大意]では「幸ある国」と解説しています。わたしが疑問をもつのは、頭注の解説です。
ここで参考までに、国語辞典(「時代別・国語大辞典・上代編、三省堂。以下、「上代編」と略称)をみると、「サキハフ」について、自動詞用法と他動詞用法で活用方法がちがうことが分かります。
サキハフ(動四)…豊かに栄える。自動詞
サキハフ[幸・福](下ニ)…幸あらしめる。他動詞
つまり、自動詞の連体用法では「サキハフ国」となり、他動詞の連体用法では「サキハフル国」となるわけです。
[
原文]は、万葉カナで「サキハフ[佐吉播布]国」と明記されているので、これはあきらかに自動詞サキハフの連体用法です。「コトダマのサキハフ国」は「コトダマが豊かに栄える国」と解釈すべきであり、「コトダマが幸福をもたらす国」と解釈することはできないと考えるのですが、わたしの解釈の方がマチガイなのでしょうか?

「枝もサカエル、葉もシゲル」姿
歌の文句に「めでためでたの若松さまよ。枝もサカエル、葉もシゲル」といいます。このサカエルとシゲルは、例のs-k音グループのコトバ。動詞サク[裂・咲・割]やシク[敷・布・如]、スク[鋤・好・透・梳・漉]などとも同系です。
サカエル[]は、木の幹がサキわかれて枝となり、そのサキがまた無限にサキ分かれる姿。
シゲル[茂・繁・重]は、もとシク[敷・布・如]の派生語。浜辺で波がシキリにシキよせる姿。また、草木が枝や葉をシクシク・シゲシゲ・シキリにシキ並べ、シキ重ねる姿。つまりサカエル姿、漢語でいえば繁栄する姿です。
草木の枝や葉がサカエル姿は、そのまますぐ、人間社会で一族がサカエル姿を連想させることになります。それが、コトバによる連想効果であり、一種のコトダマ効果です。

サキハフ[]は、サキ[先・裂]ハフ[]姿
もういちど、サキハフ[]の話にもどりましょう。サキハフは、もともとサキとハフの複合語。サキは、もともと動詞サク[裂・割・咲]の連用形兼名詞形で、「サクこと」を意味します。また、サキ[前・先]は「サキ分かれてゆく先頭部分」のこと。サキ[幸・福]にサチ[幸・福]と同一の漢字が当てられているのも、もとは「先端がサキソガレタ姿の利器、ツリバリ・ヤジリなどのこと。また、その利器がもたらすエモノ」だったからと考えてよいでしょう。
ハフ[延・匍匐](動四)について、「上代編」は「①のびる。植物のつるや根などが長くのびていくこと。②這う。腹這いになって進む」と解説。さらにサキ[]ハフ(動四・下二)の用法について、「意味が形式化して、ある事態が進展する(せしめる)意を表わす接尾語となったもの」と解説しています。
当時すでに「意味が形式化」していたことは事実だと思いますが、自動詞(四段)と他動詞(下二段)の用法区別は守られていたはずです。

コトダマを信じるのは「未開社会の風習」か?
[頭注]にたいする疑問はもう1点あります。それは、コトダマにかんする解説の中で、「コトダマ[言霊]…言語の持つ霊力」につづけて「言語に神秘な力があって、人の禍福を左右するものと考える未開社会の風習…」と断定していることです。
「言語に神秘な力があって、人の禍福を左右するものと考える」ことは、はたして未開社会だけに見られる風習でしょうか?それとも、文明開化の現代社会にも見られる伝統的な風習でしょうか?
[
頭注]の解説者におたずねします。あなたご自身は「言語に神秘な力など無い」とお考えでしょうか?また、憶良が歌った「ヤマト[]の国…コトダマ[言霊] サキ[幸]ハフ国」は、実は「未開社会」だったというご認識でしょうか?憶良は、ヤマトの国を「さまざまな情報が得られる先進的な国」と、ほこらかに歌いあげたのではなかったでしょうか?

21世紀こそ、コトダマのサキハフ時代
むかしの話は別として、現代の日本社会はどうなっていますか?たしかに、「わたしはコトダマ信者です」とナノリをあげる人はすくないでしょう。それでも、大多数の人が毎日「おはよう」「こんにちわ」「おやすみ」「さよなら」あるいは「いらっしゃいませ」「行ってらっしゃい」「どうぞお元気で」「新年(誕生日)おめでとう」など、あいさつのコトバをかわしています。この「あいさつコトバ」って、いったいナンでしょう?
もし、ほんとうに「コトバに霊力などありはしない」というのなら、こんな「あいさつコトバ」など未開社会の風習は、さっさと止めたほうがよいということになりませんか?
ところが現実は、そのぎゃくです。世の中がセチがらくなり、人間関係がギスギスしてくると、ぎゃくに「あいさつコトバ」の効用が強調される傾向があります。それは、まわりの人たちとの人間関係をよくしたいから。つまり、コトバに「人の禍福を左右する」力があると、無意識のうちに信じているからでしょう。
そこで、もういちど考えてみると、21世紀こそ、コトダマのサキハフ時代だといって、マチガイなさそうです。コトバは、鉄砲ダマのような威力をもつトビ道具。そのコトダマがラジオ・テレビ・コンピューターなどをとおして、音波~電波~音波と変身し、人々の心にトビかかり、ツキうごかしている時代です。
人類がコトバを発明して以来、日本にかぎらず世界中どこでも、どの時代でも、コトダマは威力をもっていたと考えられます。ただ、コトバを聞いたり話したりする人たちが、どれだけ気づいていたか、それは別の問題です。
21
世紀こそ、まさしくコトダマがサキハフ・サカエル時代です。

次回のテーマは、「21世紀版コトダマのサキワイ」を予定しています。

2011年11月8日火曜日

コトダマも鉄砲ダマもトビ道具 

おばけの ことだま 


 コト(和琴) 


 カチ栗


 マガタマ


 たま駅長 



ようこそ、コトダマの世界へ
ブログ「七ころび、八おき」完結を機会に、あらたにブログ「コトダマの世界」をはじめることになりました。どうぞよろしくお願い申しあげます。
コトダマの世界」という名前は、旧作「コトダマの世界」(社会評論社、1991)と同名。そのときは、仮説「象形言語説」を検証するための資料づくりが目的でした。あれから20年。「象形言語説」は、「検証」の段階を終えて「展開・応用」の段階にはいったと、じぶんでは考えています。この仮説を応用して「五十音図」を見なおし、「8音図」や「64音図」、さらには「現代日本語音図」(日漢英共通64音図)を提案できたからです。そのへんのイキサツは、ブログ「七ころび、八おき」(富山外專のころ①)で報告したとおりです。
ブログ「コトダマの世界」では、ヤマトコトバを中心にしながら、漢語・英語などもふくめ、コトバを見なおしたり、コトダマの世界を探検したりしたいと考えています。
わたしが一人でおしゃべりするだけでは、進歩もしないし、つまらないと思います。ぜひみなさまから提案や質問・意見などよせていただき、みんなでいっしょに考えてゆきたいと願っています。
コトダマのイメージ
さて、今回ブログのはじめにかかげるコトダマの画像をえらぶ段になって、ちょっと迷いました。コトダマは、「万葉集」にも出てくるコトバですが、いまどき「コトダマ」というと、なにか「陰気で、古くさくて、あやしげな」イメージで受けとられがちです。
しかし、わたしが追求しているコトダマは、もっと明るくて前向きのイメージです。そもそも、人類がコトバ(音声言語)を発明したということは、「コトバというトビ道具を手に入れた」ということです。人類の生活は、このコトダマ効果のおかげで、他の動物とはくらべものにならないほど豊かなものになりました。
そして21世紀の現代、コトダマ効果を発揮する主力部隊は、ラジオ・テレビやインタネットなどだといってよいでしょう。
画像は、ネットから借用 
ブログにのせるコトダマの画像は、インタネットでさがすことにしました。そこで見つけたのが、この「おばけのことだま」です。「オバケのQ太郎」を連想させる「底ぬけの明るさ」があり、わたしが追求しているコトダマのイメージにぴったり。さっそく借用させていただくことにしました。
以下画像5点とも、ネットからの借用で、k-t 音、t-m音をもつものばかりです。
コト(和琴)は、弦と共鳴装置をもつ楽器。弦をカットして音を出し、中空にカットした箱ガタ[型]部分で共鳴させます。コトのネ[音]は、「神さまがカタル コトバ」だと信じられていました。
カチ栗は、もともと [搗栗]ですが、[勝栗]とも書きます。カチは、動詞カツ[搗・勝]の連用形兼動名詞。栗をカチワルことで、イガやカラの中から実だけをカチとり、軍陣用の保存食としたもの。やがてエンギをかついで[勝栗]と書くようになったといわれます。カタキ同士のAとBが戦う場合、どちらかカタホウ[片方]が相手の面をカチ割れば、そのカタ[方]がカチ[勝]をカチ[搗・勝]とるコトになります。
タマはタムもの、トブもの
コトダマタマは漢字で[魂]か[霊]と書くのが普通ですが、タマと読む漢字はほかにも[玉・珠・球・弾]など多数あります。つまり、漢語では多数の語に分かれますが、ヤマトコトバではタマ1語だけだということです。
ヤマトコトバの組織原則からいえば、動詞形タムの名詞形がタマ。つまり、タムものがタマ。もっとくわしくいえば、タムは「タ[手]の姿になる」(胴体からツキデル、トビまわる)こと。「古事記、下」にも「アマダム(天飛ぶ)軽のをとめ」という用例があります。そういえば、タマ[魂・霊]も[玉・珠・球・弾]も、みんな「トブ[]もの」ですね。中でも神秘的な威力をもつといわれるタママガタマ[勾玉・曲玉]。マガリタマともいわれ、野獣の牙やヒスイ[翡翠]などで作られました。
タムは「ツキデル、トビまわる」姿といいましたが、これには「(手を突き出して)タメル[溜]、ツム[]トメル[]」の意味用法もあります。
タマはすべて球形またはその変形。最小の表面積で、最大の容積量がツメこまれる。それだけ風の抵抗が小さく、よくトブ計算になります。いいかえれば、タマは「トブちから」をタメこんだタメイケ[溜池](ダムdam)の姿です。灌漑用にも発電用にも使えますが、ひとつまちがえば、土石流・鉄砲水などの大災害をおこす心配もあります。
タマは、人名やペットの愛称にも使われています。最近の例では、和歌山電の貴志駅に「たま駅長誕生!」ということで話題になり、おおきな経済効果をあげたそうです。これも、ネコのアタマがまんまるのタマ[]型なので「タマちゃん」とよばれ、コトダマ効果を増幅できたのだと考えられます。
ここまでコトダマについて、まずは わたしの自分勝手な解釈や意見をのべさせていただきました。読者のみなさまは、それぞれちがった解釈や意見をおもちかと思います。よろしければ、ひと声お聞かせください。ワイワイ、ガヤガヤ、議論できたらと願っています。
次回は、「コトダマのサキハフ国」をとりあげる予定です。